宣教題 「ありのままで神の前に」 宣教 川原﨑晃主管牧師
聖 書 ルカ18章9~14節
ここに登場するファリサイ派の人と徴税人は、同じ場所にいましたが、その立場の違いは決定的です。その違いは、主の憐れみを請うて、そこに踏み込んでいく歩みをしたか否かにあります。
1.自分を他の人と比べていないか 11~12節
主イエスが語られた「自分を正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々」の代表が、ファリサイ派の人でした。彼は、行いは立派なのですが、自分を飾って、他の人との比較の中で生きていました。それは、神に喜ばれようとするあまり、自分の功績を頼みとして生きている者の姿です。また、神の前で自分を取り繕ってよく見せようとする者の姿です。
主イエスは、神に近づくために、そのような自己防衛の姿勢は取らなくてよい、ありのままでよいと言われるのです。
2.憐みの神の前に立っているか 13~14節
徴税人は、「神様、罪人のわたしを憐れんでください」と悲鳴とも言える祈り、心からの叫びをあげています。彼は、他の人と比べることなく、ただ罪人のこのわたしを憐れんで赦してくださいと祈っているのです。この姿は、十字架の主イエスの前に憐れみを請うた犯罪人と同じです(ルカ23章40~43節)。続いて主イエスは、このようにありのままで神の前に立つ者を、神が義と認められ、罪を赦されたと宣言されるのです。
神は、何も言い訳しないで、ありのままで主イエスのもとに来る者を憐れみ、これまでのままでない新しい歩みをつくってくださるのです。
聖書朗読(0.5MB)
証し・礼拝メッセージ(12.5MB)