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2019年1月

主イエスの証人として(2019.1.27)

宣教題 「主イエスの証人として」       宣教 今田好一牧師
聖 書 マルコ5章1~20節
わたしたちは、汚れた霊の働いている世界の中で生きているのですから、その働きを良くわきまえなければならないのです。

1.汚れた霊の働き
汚れた霊は命ではなく、死に親和性をもっています。ですから、わたしたちの内にある罪に働きかけ、自分の思い、欲望を絶対化させ、それに反する者を許さず、命を奪うことさえ正義であると言わせるのです。

2.一人の人を救うために
イエス様が、嵐の湖を越えて異邦人の地に来られたのは、家族や社会から棄てられ、墓場で苦しむ一人の人を救うためでした。汚れた霊は、二千匹の豚の中に入り、湖になだれ込んで溺れ死にます。しかし、それを見た人々は、その出来事を喜ぶことはせず、イエス様を恐れて、ここから出て行くように願ったのです。

3.主イエスの証人として
「・・・人が服を着」(15節)とは、人間として、社会生活が出来るようになったことを示しています。そして、「正気になって座っている」(15節)と、イエス様の足もとに座るということは、わたしたちの姿を示しています。何故なら、わたしたちも、様々な汚れた霊、偶像の中で生きて来て、イエス様と出会い、救いに与かった者だからです。

イエス様は、「身内の人に・・・ことごとく知らせなさい」(19節)と言われました。この御言葉をわたしたちもしっかりと受け止め、自分になされた主イエスの救いの御業を伝える、主イエスの証人とならせていただきましょう。

聖書朗読(1.4MB)

メッセージ(9.4MB)

礼拝ご案内・行事予定(2019年2月)

礼拝はキリスト教会の最も大切な行事です。私たちのいのちの糧である聖書の言葉が、わかりやすく語られます。讃美歌を歌い、祈ります。 神さまを讃え、救いにあずかった感謝を表します。

◎ 主日礼拝 (毎週日曜日)
第1礼拝 :AM 9:00 ~ 10:15
第2礼拝 :AM10:45 ~ 12:00
第3礼拝 :PM 7:00 ~ 8:00
○成人科プログラム (毎週日曜日)
AM9:30 ~ 10:15
楽しい聖書の学び 1階集会室にて
お話は毎回完結します。
いつでもお入りください。
3日(日)第1聖日 総会礼拝
「何のための富か」
ヤコブ5:1~6
神はわれらの避け所
詩篇46:1~11
鎌野 健一
10日(日)第2聖日 礼拝
「ただ信じなさい」
マルコ 5:21~24、5:35~43
み言葉は足のともしび
詩篇119:105~112
山崎 勝
17日(日)第3聖日 聖会礼拝
「新しい生き方」
2コリント5:11~21
主を恐れることは知識のはじめ
箴言1:7~19
山崎 美鈴
24日(日)第4聖日 伝道礼拝(神学生壮行礼拝)
「ありのままで神の前に」
ルカ18:9~14
祈りと証し

祈祷会 恵みの分かち合い (毎週水曜日)  AM 10:30 ~12:00、PM 7:00 ~ 8:30

祈祷会は毎日の家庭の祈りに加えてクリスチャンが心を合わせて神に問い、神と語る集会です。キリスト教にとって、祈りは「ご利益の祈願」や「瞑想」ではありません。 神さまのみこころが私たち世界に満ちることを願い、さらに救われたことを、神さまに感謝するものです。

2月行事予定

■ 3日(第1聖日)教会総会礼拝 2月誕生者祝福 聖餐式  教会総会(定期総会)
■ 10日(第2聖日)礼拝 救霊の動力の学び(C) 役員会
■ 17日(第3聖日)聖会礼拝  春の聖会
■ 24日(第4聖日)伝道礼拝(神学生壮行礼拝)救霊の動力の学び(B) 9:15  CS・JY合同行事  ファミリーコイノニア

3月行事予定

■ 3日(第1聖日)礼拝 3月誕生者祝福 聖餐式  新任教師研修会  Happy Sheep
■ 10日(第2聖日)礼拝  役員会  新任教師研修会
■ 17日(第3聖日)礼拝  新任教師研修会  送別愛餐会
■ 24日(第4聖日)伝道礼拝  新任教師研修会
■ 31日(第5聖日)礼拝

失望しないで(2019.1.20)

宣教題 「失望しないで」          宣教 川原﨑晃主管牧師
聖 書 ルカ18章1~8節
創造主である神に造られた私たち一人ひとりは、内側から出て来るものが言葉となり、それが祈りの言葉となって表れてきます。「祈り」とは何なのでしょう。

1.どなたに向かって
「初めに、神は」とあるように(創世記1章1節)、神を初めに置く生活、神を第一とする生き方が、本来の人間の姿です。その生き方をしていくならば、「天にまします我らの父よ」との主の祈りが、私の祈りとなります。
この神に祈ることにより、神との対話と交わりが生まれます。ここに登場する「一人のやもめ」のように、神に訴えるところに、神からの応えを聞くことができます。

2.どのような時にも
主イエスは、失望しないで絶えず祈るように語られました。順風満帆な状況下においても、このたとえ話にあるように悲観的な状況下においても、人は祈ることに困難を覚えるからです。そのように祈りを困難にする一番の原因は、神を信じ、信頼できないという、人の内側にある心の暗さからくるのです。
しかし、どのような時にも、神に祈り叫ぶことのできる人は幸いです。

3.どのようにして神は
そのように失望しないで神に祈り続ける者に、神は必ず道を開いてくださいます(7節)。神の裁きは、人にベストだという応えをくださることです。
その応えとは、主イエスが再び来られる時だけでなく、すでに来られた時と同様に、一人ひとりが信仰を抱いて神に向かっているか、神に呼ばわり祈る信仰を見失っていないかと問いかけておられます(8節)。神の救いを「あなた」のものに!

聖書朗読(0.7MB)

メッセージ(8.6MB)

向こう岸へ渡ろう(2019.1.13)

宣教題 「向こう岸へ渡ろう」        宣教 今田好一牧師
聖 書 マルコ4章35~41節

わたしたちはイエス様が共におられることを信じて信仰の歩みをします。それがキリスト者です。

1.危機を前にしてのつぶやき
 イエス様に言われて弟子たちは舟を出します。しかし、嵐が起きて舟が沈みそうになり、弟子たちは恐れますが、イエス様は寝ておられた。すると弟子たちはイエス様に非難めいた口調でつぶやき出したのです。同様にわたしたちも困難な状況に陥ると、主が共にいてくださることをいとも簡単に忘れてしまうのです。

2.沈むことのない舟
 この時イエス様は、嵐の中でも平安であられたので眠っておられました。しかし、弟子たちは恐れと不安に支配されていました。イエス様は弟子たちに「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」と言われたのです。それは、主が共におられるなら決して舟が沈むことはないということと、嵐を静めて、ご自身が神の子であることを示されるためでした。

3.向こう岸に向かって舟が出る
 弟子たちは舟を出さなければ嵐に遭うこともなかったのです。しかし、そうしていたら嵐を静められるイエス様を見ることはできなかった訳です。そして、そのことによって、益々イエス・キリストというお方を知ることになるのです。

 「向こう岸に渡ろう」とのイエス様の促しに従い、一歩踏み出すのが教会であり、キリスト者です。イエス様はいつもわたしたちと共におられます。だから大丈夫。イエス様はわたしたちと共に向こう岸へと渡ってくださるお方なのです。

聖書朗読(0.4MB)

メッセージ(8.9MB)

愛による成長(2019.1.6)

宣教題 「愛による成長」          宣教 川原﨑晃主管牧師
聖 書 エフェソ3章14~19節、4章16節

パウロは、聖徒たちがキリストの「愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者」となるように祈っています(3章14~15節)。教会は、そのキリストの愛を知る聖徒たちによって形成され、その愛によって造り上げられていきます(4章16節)。

1.どのような愛なのか  3章16~19節
このパウロの祈りは、今の私たちの祈りです。世の力、悪の力、肉の思い、誘惑は、聖徒の「内なる人」の霊性を弱くします。しかし、そのような者を愛し、赦しきよめてくださる神の恵みによって強められ、「内にキリストを住まわせ」て歩まさせていただくのです(16~17節a)。
それによって、キリストの愛が「人の知識をはるかに超える」ものであることを知ります。それを具大的に経験し続けることが、神の満ちあふれる豊かさにあずかり、満たされることになるのです。このキリストの愛を経験するのは、「すべての聖なる者たちと共に」、教会に生きることによって分かるのです(17節b~19節)。

2.どのように愛に生きるのか  4章16節
さらに一歩進んで、教会を形成する聖徒たちは、その愛をどのように理解し、その愛に対してどう生きていくのでしょうか。キリストの愛に応え続けることです(2章4~5節、10節)。キリストの愛に学び続けることです(4章15節)。キリストの愛に倣い続けることです(5章1~2節)。
聖徒たちが造られていくために、そしてその一人ひとりが属する教会が成長し、造り上げられていくために最も必要なことは、キリストの愛を体験的に知り続け、キリストの愛に生き続けることです。

聖書朗読(0.6MB)

メッセージ(9.6MB)

愛の大きさが分かる場所(2019.1.1)

宣教題 「愛の大きさが分かる場所」     宣教 川原﨑晃主管牧師
聖 書 エフェソ3章17~19節

パウロは、私たちが「キリストの愛を知る」聖徒であり、その群れであることを切に祈り願っています(新改訳2017、聖書協会共同訳を参照)。この祈りの背後には、キリストの愛が分かり、それを計れる場所はどこにあるのかを明らかにしています。

1.キリストの愛に包まれて
まず、「愛に根ざし、愛にしっかりと立つ」(17節b)ことです。キリストの愛を知るに際して、自分自身とその生活の根拠と土台をキリストの愛に置くことは、当然のことです(ヨハネ15章5節、7節、9節参照)。それには、キリストの愛に包まれ、その中に招き入れられていることを体験的に知っていることが大切です。
キリストの愛は、すでに完全に現されています(エフェソ2章4~5節)。必要なことは、キリストの愛が増し加えられることではなく、「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどのものであるかを理解」(18節)することができるように祈ることです。

2.すべての聖徒たちと共に
キリストの愛に包まれて生活する者たちは、聖徒の交わり、すなわち教会に生きる者です。「すべての聖なる者たちと共に」キリストの愛を知る体験を共有し総合してこそ、初めて「人の知識をはるかに超える」キリストの愛の豊かさをうかがい知ることができるからです(19節)。それは、キリストの愛を知る経験が健全となるためにも大切なことだからです。
キリストの愛を知り続けるために、互いに祈り合いましょう。そして、この愛の中に、なお多くの人々が招かれるように祈りましょう。

聖書朗読(0.3MB)

メッセージ(6.5MB)