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2018年9月

すべての人が良い地に(2018.9.30)

宣教題  「すべての人が良い地に」      宣 教  今田好一牧師
聖 書  マルコ4章1~20節

主イエスの語られた種蒔きのたとえは何を意味しているのか、その目的とは、そして、どのような約束があるのかを御言葉を通して見ていきましょう。

1.たとえ話の意味
 このたとえ話は、種にたとえられた御言葉とそれを聞いた、それぞれ四つの土地にたとえられた人たちを通して、そこに隠されているものについて目が開かれるように、イエス様が教え始められています。そして、それを知るためには、語られた御言葉がわたしたちの中に留まり続ける必要があるのです。

2.たとえ話の目的
 このたとえ話の中には、道端、石だらけで土の少ない所、茨の中、良い土地とありますが、わたしたちは元々道端でした。しかし、すべての人が良い土地になれるのです。何故なら、種を蒔いている農夫がイエス様だから、蒔いた種が芽を出し、成長して多くの実をつける良い土地にしてくださるからです。だから、私は、道端だ、茨の中だ、良い土地にはなれないと諦めてはいけないのです。

3.たとえ話の約束
 良い土地に蒔かれた種が、30倍、60倍、100倍の実を結ぶとはどういうことでしょうか。(1)わたしたちが聖霊による喜びをもって、御言葉を受け入れる者とされる。(2)イエス様が御言葉と共にわたしたちの内に宿られ完全な救いの実を結んでくださる。(3)わたしたちが周囲の人々に御言葉を与えていく者へと変えられる。
すべての人が良い土地とされますように御言葉の種を蒔き続けましょう。そして、主イエスの約束された豊かな実りが与えられることを信じて歩みましょう。

聖書朗読(1.2MB)

礼拝メッセージ(8.2MB)

礼拝のご案内・行事予定(2018年10月)

礼拝はキリスト教会の最も大切な行事です。私たちのいのちの糧である聖書の言葉が、わかりやすく語られます。讃美歌を歌い、祈ります。 神さまを讃え、救いにあずかった感謝を表します。

◎ 主日礼拝 (毎週日曜日)
第1礼拝 :AM 9:00 ~ 10:15
第2礼拝 :AM10:45 ~ 12:00
第3礼拝 :PM 7:00 ~ 8:00
○成人科プログラム (毎週日曜日)
AM9:30 ~ 10:15
楽しい聖書の学び 1階集会室にて
お話は毎回完結します。
いつでもお入りください。
7日(日) 第1聖日 礼拝
「へりくだりなさい」
ヤコブ4:11∼12、ガラテヤ6:1∼5
親切なサマリヤ人
ルカ10:25~37
鎌野 健一
14日(日) 第2聖日 神学校デー礼拝
「聞く耳のある者は聞きなさい」
マルコ4:21~25
愚かな金持ち
ルカ12:13~21
増永 茂
21日(日) 第3聖日 礼拝
「生ける信仰」
ルカ17:1~10
建築と戦いのたとえ
ルカ14:25~35
山崎 勝
28日(日) 第4聖日 宗教改革記念日伝道礼拝
「感謝の生活」
ルカ17:11~19
祈りと証し

祈祷会 恵みの分かち合い (毎週水曜日)  AM 10:30 ~12:00、PM 7:00 ~ 8:30

祈祷会は毎日の家庭の祈りに加えてクリスチャンが心を合わせて神に問い、神と語る集会です。キリスト教にとって、祈りは「ご利益の祈願」や「瞑想」ではありません。 神さまのみこころが私たち世界に満ちることを願い、さらに救われたことを、神さまに感謝するものです。

 

10月行事予定

7日(第1聖日)世界聖餐日礼拝 聖餐式 10月誕生者祝福
14日(第2聖日)神学校デー礼拝  避難訓練  役員会
21日(第3聖日)礼拝
28日(第4聖日)宗教改革記念日・伝道礼拝  Happy Sheep

11月行事予定

4日(第1聖日)聖徒の日記念礼拝 11月誕生者祝福  召天者合同記念会
11日(第2聖日)礼拝  オリーブの会例会
18日(第3聖日)幼児成長祝福礼拝 聖餐式 教会学校教師研修会3 役員会
25日(第4聖日)収穫感謝日・伝道礼拝  大掃除

今という時の間に(2018.9.23)

宣教題  「今という時の間に」       宣 教  川原﨑晃主管牧師
聖 書  ルカ16章19~31節

 主イエスが死後のことでリアルに話しておられるたとえ話は、この箇所以外にはありません。ただし、主イエスがここで問いかけておられることは、今と言う時に一人ひとりが神の前にどうあればよいか、ということです。

1.主の憐れみに支えられていることです  19~26節
 ここに、二人の人が登場します。一人は「金持ち」で、お祭り騒ぎの日々を陶酔するように過ごしていました。これは、自分の豊かさを喜び楽しみ、神の言葉を聞き過ごし忘れてしまっている人の姿です。彼は、死後に陰府に行って、もだえ苦しんでいます。一方「ラザロ」という「貧しい人」は、「アブラハムのすぐそばに」すなわち一番安心できるその膝に連れて行かれました。
 この二人の違いは、ラザロはその名の通り、神の憐れみよって生きていましたが、金持ちはそのことを忘れていたのです。私たち一人ひとりは、神の憐れみに支えられている「ラザロ」であることを心底知る必要があります。

2.主の御言葉に支えられていることです  27~31節
 陰府で苦しむ金持ちは、自分の兄弟が同じ苦しみに遭うことがないようにしてほしいと、アブラハムに嘆願しています。それに対してアブラハムは、神がモーセや預言者を通して語られた御言葉を信じることが大切であると言います。納得できない金持ちは、死んだ者の中から生き返った証人が兄弟たちの所に訪れてくれなければ難しいと語っています。
大切なことは、本気で御言葉を信じているかということです。御言葉に支えられ続けてこそ、私たちの人生の生き方と永遠をどこで過ごすかが決まるのです。

聖書朗読(1.3MB)

メッセージ(9.6MB)

新しい家族への道(2018.9.16)

宣教題  「新しい家族への道」       宣 教  今田好一牧師
聖 書  マルコ3章31~35節
家族は、神がわたしたちに与えてくださった目に見える恵みの一つです。

1.神の恵みの家族
 家族を考える時、親子と夫婦があります。親子は血縁の関係であり、『家族である』という関係です。しかし、夫婦は神の御前における契約の関係であり、『家族になる』という関係です。聖書は『家族である』ことより、『家族になる』ことを重要なこととして、契約が血縁に優先することを示しています。

2.神との契約の家族
 イエス様の身内が人々の評判を聞き、彼を取り押さえに来たのは、ただイエスの身の安全を心配する肉親の愛からであり、そこに『イエスは家族である』という血縁の関係があるのです。しかしイエス様は、「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」(35節)と言われました。ここでイエス様は『家族になる』という契約の関係が重要であることを言っておられるのです。

3.新しい家族への道
 イエス様の言われた言葉は、わたしたちがどこに自分の身を置いて聞いているのかということです。イエス様の家族は外にいました。しかしイエス様が御許に集まっている人々に言われた「ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。」(34節)との言葉には、家族関係、血縁関係よりも、霊的関係の方が親密であることが言い表されているのです。
 新しい家族を結び合わせるのは、血縁を越えた霊的な関係であり、主との永遠的な関係なのです。ここに新しい家族への道があります。

礼拝メッセージ(8.9MB)

晩年に神の祝福を(2018.9.9)

宣教題  「晩年に神の祝福を」       宣 教  川原﨑晃主管牧師
聖 書  フィレモン8~25節

 パウロにも「年老いて」と思う時が来ました(9節)。この手紙とパウロが死の直前に書いた「テモテへの手紙二」から、晩年のパウロの信仰と心情を学んでみましょう。そこには、キリストに結ばれた者への神の祝福があります(20節)。

1.キリストによって安息を与えられて
 パウロには、このとき置かれていた状況がもたらした孤独感がありました。それは、監禁中にあったために、狭い世界に閉じ込められた思いです。また、晩年の寂しさや悲しみがありました(2テモテ4章9節、10節、14節)。
 そのパウロが、「キリストによって、わたしの心を元気づけてください」と願っています。私たちは、パウロと同じように、神の御前にひとり立つものとされています。その時に、キリストによって(ヨハネ15章5節、2コリント5章17節)、安息をいただいていることが大切なのです(マタイ11章28節)。

2.キリストによって力づけられて
 パウロは、最後まで伝道のスピリットに満たされていました。『監禁中にもうけたわたしの子オネシモ』が与えられています(10節)。また、パウロは配慮と気遣いの人でした。彼は、生まれ変わったオネシモを「役立つ者」(10節)、「愛する兄弟」(16節)、「わたしの心である」(12節)と推薦し、信頼するフィレモンがオネシモを受け入れてくれるように期待しています(17節)。このような魂への配慮ができるのは、キリストによって力づけられていたからです。
大切なことは、誰もが「年老いて」という言葉の後に、どういう言葉が続く生き方をするかということです。

聖書朗読(1MB)

メッセージ(10.3MB)

感謝の心を拡大する(2018.9.2)

宣教題  「感謝の心を拡大する」       宣 教  川原﨑晃主管牧師
聖 書  フィレモン1~7節

 フィレモンへの手紙は、理想の教会をのぞく小窓と言われるほどに、信仰から出る愛に溢れていました(1~3節、5節)。パウロは、教会に対して、神に感謝をささげています(4節)。そして、その感謝は、彼の心を拡大していきました。

1.生き生きとした信仰の交わりゆえに  5~6節
 「主イエスに対するあなたの信仰」が、全人格的に自分のものとして抱いている信仰であるゆえに感謝しています(5節)。その信仰は、日々主イエスにつながって、主の御言葉に信頼しているからです(ヨハネ15章5節)。
 そのような「信仰の交わり」が分かち合われるとき、次のような感謝が生まれます(6節)。信仰を分かち与えられた人は、それが神の恵みによることを知って、その人の心を高めます。信仰を分かち与えた人は、神の恵みによってさせていただいたことを知って、その人の心を謙遜にします。

2.豊かな愛の感化ゆえに  5節、7節
 次に、制限やえりごのみなしに、「聖なる者たち一同に対するあなたの愛」となって、外に向かって働いていることに感謝しています(5節)。
 さらに、感謝していることは、フィレモンの愛のゆえに、パウロ自身が「大きな喜びと慰め」を受けたこと、また聖なる者たちの心が「元気づけられた」(マタイ11章28節参照)ことに感謝しています。このような愛の感化による感謝が、人の心を広めていくのです。
 私たち一人ひとりと教会は、信仰の交わりと人々に対する愛が溢れることによって、感謝の心を拡大する器とならせていただきましょう。

聖書朗読(0.4MB)

メッセージ(8MB)