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2018年4月22日

安息の中に憩う(2018.4.22)

宣教題  「安息の中に憩う」        宣 教  川原﨑晃主管牧師
聖 書  ルカ14章1~6節

 主イエスが、安息日の食事の席に行かれたときでした(1節)。そこには、水腫を患っている人、イエスの様子をうかがっている人々がおり、緊張した食事であったと思われます。そのような中で、主イエスは、安息の中に憩えるように導かれました。

1.安息に招かれる主イエス 
 ルカによる福音書には、主イエスが安息日にいやす御業をなされ、それが人々の反感をかうという出来事が語られています(6章6~11節、13章10~17節、14章1~6節)。それらは、時間の経過とともに、着実に主イエスが勝利されていくお姿が分かります。この場面では、人々が一言も語ることができなかったという状態でした。
安息日の主であるイエスは、安息日が「元気を回復するため」にあることを明らかにされたのでした(出エジプト23章12節)。安息に招かれる主イエスが、私たちを新たに立ち上がらせてくださるのです(マタイ11章28節)。

2.いやし安息を与える主イエス 
 主イエスは、ご自分の前に水腫を患ったまま放置されていることに心を痛められ、いやされました(4節)。人が病んでいる姿は、今も変らず、神との関係が正しくない状態であったり、男女の関係や社会における人間関係の倫理が失われていたりする状態となって表れます。その状態をそのまま放置しておけない主イエスは、ご自身の救いの恵みをもっていやし、安息を与えられます。
 一人ひとりがそのいやしに与るためには、自らの無力を認めて、主イエスに対する信仰を持つことです。そして、主イエスが心に手を置いていやされる恵みの御業に委ね、与えてくださる安息にあずかることです。

聖書朗読(0.4MB)

メッセージ(10MB)