宣教題 「人の子は安息日の主」 宣教 今田好一牧師
聖 書 マルコ2章23~28節
イエス様とファリサイ派の人々との間で起きた安息日を巡っての論争から、わたしたちがどのように歩めば良いのかを見ていきましょう。
1.安息日
当時、安息日には234項目のしてはならないことがありました。それによって、二度とバビロン捕囚のような目に遭わないようにしっかり律法を守り、神の民として歩むことを心に刻んだのです。彼らは、まさに命がけで律法を守ろうとしました。しかし、ここには、『真面目な罪人』というものがあります。
2.安息日の主
安息日に麦の穂を摘んで食べたイエスの弟子たちの行動をファリサイ派の人々は咎めました。それに対してイエス様は3つのことを語られました。
(1)「ダビデは神の家に入り、祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか。」(26節b)。
(2)「安息日は人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」(27節)。
(3)「人の子は安息日の主でもある」(28節)。主イエス・キリストの到来と十字架と復活の出来事こそが、新しくされた安息日の意味なのです。
そして、わたしたちが神との平安の中に生きること、それがわたしたちに与えられた真の安息であり、この安息を与える為にイエス様は来られたのです。
わたしたちは今、イエス様によって与えられている安息を心に刻み、イエス様の十字架の贖いによって与えられた新しい命を受け、真の安息を与えられた者として、ここから新しい歩み、天の御国への歩みへと踏み出して行きましょう。