メニュー 閉じる

2018年1月

御言葉に生きる(2018.1.28)

宣教題  「御言葉に生きる」       宣教 川原﨑晃主管牧師
聖 書  ヤコブ1章19~25節

 神は、私たちを初々しい信仰者とするために召し出してくださいました(17~18節)。その神の御業がさらに進んでいくために、私たちが御言葉に生きることを求められています。

1.御言葉に聞く必要がある  19~21節
 御言葉を「聞くのに早く」とは、素直に、従順に、へりくだって聞くということです。「話すのに早く」とは、聞いた御言葉を思慮深く受け止め、正しく理解し、語ろうとする相手にふさわしく話すことです。そして、御言葉が自分の考えていることと合わないとか、自分の本当の姿が明らかにされているので受け入れられないということで、神に対して怒りを覚えることに「遅いようにしなさい」と勧められています。
その怒りから生まれる言動は、神の御心に適うものではありません。ですから、御言葉を受け入れなくさせる汚れや悪を素直に捨て去り、魂を救うことができる御言葉が語りかけることを聞き続けることが必要です(詩編119編130節)。

2.御言葉を行うことである  22~25節
 御言葉に聞くことから始めたならば、「御言葉を行う」ことがそれに結びついていきます。すなわち、御言葉に人格を傾けて注意深く聞くならば、それに従って行動が起こり新しい生き方が生まれてきます。ですから、御言葉に真実に向き合わず、御言葉に聞くことを忘れて、自分を欺かないことです。どこまでも、御言葉を「一心に見つめ」て生きるのです。

 一人ひとりが、御言葉の前に謙遜でありたいものです。そして、一人ひとりにふさわしく、御言葉を行う幸いに生きるものとならせていただきましょう。

礼拝ご案内・行事予定(2018年2月)

礼拝はキリスト教会の最も大切な行事です。私たちのいのちの糧である聖書の言葉が、わかりやすく語られます。讃美歌を歌い、祈ります。 神さまを讃え、救いにあずかった感謝を表します。

◎ 主日礼拝 (毎週日曜日)
第1礼拝 :AM 9:00 ~ 10:15
第2礼拝 :AM10:45 ~ 12:00
第3礼拝 :PM 7:00 ~ 8:00
○成人科プログラム (毎週日曜日)
AM9:30 ~ 10:15
楽しい聖書の学び 1階集会室にて
お話は毎回完結します。
いつでもお入りください。
4日(日) 第1聖日 教会総会礼拝
「成長させる神」
ルカ13:18~21
幼子のように
マタイ18:1~5
鎌野 健一
11日(日) 第2聖日 礼拝
「新しい革袋として」
マルコ2:18~22
祈と証し
18日(日) 第3聖日 礼拝
「生きて働く信仰」
ヤコブ1:26~27
仕える生き方
マタイ20:20~28
増永  茂
25日(日) 第4聖日 伝道礼拝(神学生壮行礼拝)
「永遠に乾かない水」
ヨハネ4:7~15
エルサレム入城
マタイ21:1~11
大塚 章信

祈祷会 恵みの分かち合い (毎週水曜日)  AM 10:30 ~12:00、PM 7:00 ~ 8:30

祈祷会は毎日の家庭の祈りに加えてクリスチャンが心を合わせて神に問い、神と語る集会です。キリスト教にとって、祈りは「ご利益の祈願」や「瞑想」ではありません。 神さまのみこころが私たち世界に満ちることを願い、さらに救われたことを、神さまに感謝するものです。

 

2月行事予定

4日(第1聖日)教会総会礼拝 聖餐式 2月誕生者祝福  教会総会(定期総会)
11日(第2聖日)礼拝
18日(第3聖日)礼拝     24日 結婚式
25日(第4聖日)伝道礼拝(神学生壮行礼拝)

3月行事予定

■  4日(第1聖日)礼拝 聖餐式 3月誕生者祝福 Happy Sheep ファミリーコイノニア
11日(第2聖日)礼拝 合同行事(JY・CS)
■ 18日(第3聖日)聖会礼拝 聖会礼拝、講演会
25日(第4聖日)礼パームサンデー・伝道礼拝(神学生壮行礼拝)
23-25日 JYスプリングキャンプ  27-30日 受難週祈祷会

罪人を招くために(2018.1.21)

宣教題  「罪人を招くために」       宣教 今田好一牧師
聖 書  マルコ2章13~17節

イエスは、再び湖のほとり出て行き群衆を教えられ、通りがかりの道でレビが収税所に座っているのを見かけて声をかけました。それは何のためだったのでしょうか。

1.わたしに従いなさい
レビは、イエス様からの召しを受けた時、すぐに従います。ここで重要なのは、レビがすぐに従ったということです。彼は徴税人であり、当時は罪人の代表者的存在として、決して救われることはないと思われていました。しかし、そのレビをイエス様が弟子として召されたのです。彼には、何も誇りとするものがなかったのです。

2.罪人の最たる者から主の弟子に
罪人から主の弟子になった人物の代表的存在にパウロがいます。彼はテモテに、「わたしは、その罪人の中で最たる者」と言っています。そんな彼が復活のキリストと出会い回心し、主の弟子となります。 パウロも神の御前に誇るべきものなど何一つ無く、ただ主の十字架によって救われた。その恵みと神の愛に生きた人物でした。

3.罪人を招くために来られた主イエス
主の弟子とされたレビはイエス様を食事に招きます。それを見たファリサイ派の律法学者は、イエス様を非難しました。そこでイエス様は、「わたしが来たのは、・・・罪人を招くためである」と言われました。彼らは、自分の正しさに固執するあまり、罪人をも赦して招く大きな神の憐みを認めることができなかったのです。
わたしたちも、ただイエス様に招かれた罪人に過ぎません。レビやパウロのように、わたしのような者さえ招かれたことを心から感謝し、イエス様の愛と憐みと恵みを受けた者として歩ませていただきましょう。

あなたの罪は赦される(2018.1.14)

宣教題  「あなたの罪は赦される」       宣教 今田好一牧師
聖 書  マルコ2章1~12節

イエス様が中風の人を癒された出来事から、わたしたちには何が最も大切なのかを見ていきましょう。

1.子よ、あなたの罪は赦される
 イエス様が町に入られると、そこに中風の人が運ばれてきました。するとイエス様は、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われました。罪を赦すことのできるのは神だけです。イエス様は神としての罪の赦しを宣言されたのです。それは、神の国は既に来ているのだから、神の子として、新しい命に生きなさい、ということを人々に告げようとされたのです。

2.イエスとは誰か
 イエス様の言葉に律法学者たちは心の中で神を汚す言葉だと論じます。しかしイエス様は続いて、「起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言われました。それによってイエス様は、自分には罪を赦す権威があり、自分が誰であるかを示されたのです。そして神の国が既に来ており、神に近くあることの幸いに生きる者となるように告げようとされたのです。

3.その人たちの信仰を見て
 イエス様は、中風の人の信仰ではなく、彼を運んできた人たちの信仰を見て、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われたのです。確かに癒される人の信仰は大切ですが、その人の良き業によって罪が赦されるのではなく、イエス様の憐れみ、イエス様の執り成しによるのです。
 わたしたちにとって最も大切なのは、隣人への愛とイエス様への信頼です。そこに神の御業が現わされていくのです。そのことを求めて共に祈りましょう。

愛が分かった(2017.1.7)

宣教題 「愛が分かった」         宣教 川原﨑晃主管牧師
聖 書 1ヨハネ3章11~18節

 パウロは、キリストこそが命そのものであると告白しています(フィリピ1章21節)。そのキリストをどのように知ることができるのでしょうか(14節、16節)。

1.死から命へと移してくださる主  11~15節
 キリスト者の生活は、「互いに愛し合うこと」を大切にしています(11節)。ところが、カインが弟を殺した姿に見るように(12節)、殺人は憎む心から生まれるものです(13節、15節)。今日の世界が「カインのように」なっているのではないか。また、私たちの心が憎しみに駆られ、心のうちに密かな殺人を犯すことになっていないか。そして、教会が本当に「互いに愛し合う」群れになっているか、と問われます。
 ところで、「わたしたちは、自分が死から命へと移ったことを」事実として知らされ、信仰をもって受け止めています(14節、ヨハネ5章24節)。キリストによって死から永遠の命に移されるならば、愛に生きる者に変えられるのです。

2.命を捨てる者へと変えてくださる主  16~18節
 そのために、キリストは十字架にお架かりくださって命を捨ててくださいました。その事実のゆえに「愛を知りました」と告白しています。ヨハネは、家族愛をはじめ多くの愛を経験していましたが、キリストの十字架のもとに身を置いたことによって初めて神の愛が「分かった」のであり、地上の使命を終えるまで続いた経験でした。
 私たちを兄弟を愛する者に、命を捨てる者に変えてくださるのは、キリストご自身です。そこからは、兄弟に対して誠実な同情を寄せる愛が生まれてきます(17~18節)。何よりも、他者の救いと必要のために命を注ぎ出す者とされます(フィリピ1章22~26節)。これこそが、キリストの十字架の愛に生かされている者の生き方です。

礼拝ご案内・行事予定(2018年1月)

礼拝はキリスト教会の最も大切な行事です。私たちのいのちの糧である聖書の言葉が、わかりやすく語られます。讃美歌を歌い、祈ります。 神さまを讃え、救いにあずかった感謝を表します。

◎ 主日礼拝 (毎週日曜日)
第1礼拝 :AM 9:00 ~ 10:15
第2礼拝 :AM10:45 ~ 12:00
第3礼拝 :PM 7:00 ~ 8:00
○成人科プログラム (毎週日曜日)
AM9:30 ~ 10:15
楽しい聖書の学び 1階集会室にて
お話は毎回完結します。
いつでもお入りください。
1日(月) 元旦礼拝
「生きることはキリスト」
フィリピ1:20~21
7日(日) 第1聖日 成人祝福礼拝
「愛が分かった」
1ヨハネ3:11~18
キリストによる新創造
第二コリント5:13~19
鎌野 健一
14日(日) 第2聖日 礼拝
「あなたの罪は赦される」
マルコ2:1~12
祈と証し
21日(日) 第3聖日 伝道礼拝
「罪人を招くために」
マルコ2:13~17
十字架を負うて
マタイ10:21~26
真田 重治
28日(日) 第4聖日 礼拝
「御言葉に生きる」
ヤコブ1:19~27
山上での変貌
マタイ17:1~8
山崎 勝

祈祷会 恵みの分かち合い (毎週水曜日)  AM 10:30 ~12:00、PM 7:00 ~ 8:30

祈祷会は毎日の家庭の祈りに加えてクリスチャンが心を合わせて神に問い、神と語る集会です。キリスト教にとって、祈りは「ご利益の祈願」や「瞑想」ではありません。 神さまのみこころが私たち世界に満ちることを願い、さらに救われたことを、神さまに感謝するものです。

 

1月行事予定

1日(月) 元旦礼拝
7日(第1聖日)成人祝福礼拝 聖餐式 1月誕生者祝福 成人祝福式
14日(第2聖日)礼拝 ダイヤモンド婚・金婚式
21日(第3聖日)伝道礼拝 バルナバミッション祈祷会
28日(第4聖日)礼拝 質問受付会

2月行事予定

4日(第1聖日)教会総会礼拝 聖餐式 2月誕生者祝福  教会総会(定期総会)
11日(第2聖日)礼拝
18日(第3聖日)礼拝                 24日 結婚式
25日(第4聖日)伝道礼拝(神学生壮行礼拝)

生きることはキリスト(2018.1.1)

宣教題 「生きることはキリスト」     宣教 川原﨑晃主管牧師
聖 書 フィリピ1章20~21節

 「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益です」との告白は(21節)、パウロのひたむきな心構えが伝わってきます。それは、私たちの生活の試金石でもあります。

1.私たちの生涯の中心は  21節
 パウロは、「わたしにとって、生きるとは」キリストに仕えることですとも、キリストのようになるとも言っていません。キリストが、彼の信仰と生活と奉仕の動機であり、目標であり、生涯であったからです。それは、彼がキリストにすべてをお任せし、明け渡して、キリストがその生涯の主となっていてくださった証しです。そこで彼は、古い自我性に死んでキリストに生きていただいている、肉体の死をも永遠の命に生きるものとされているゆえに、「死ぬことは利益なのです」と喝破しています。
このようにキリストを中心にして生きることが、私たちの共通のそして共有すべき人生観また死生観です。

2.私たちの切なる願いは  20節
 このような信仰者としての在り方また生き方は、パウロがどんなに厳しい環境にあっても福音を前進させる動力となり、内に燃える切願となったのです。それは、どういう場合にも、キリストによって贖われて聖霊の宮とされている自分の身によって、キリストが誰の目にもハッキリと見えるほどに拡大されるようになることです。しかも、キリストが、特別なときだけでなく普段の生活の中で、大胆に証しされるようになることです。
 これこそが、私たち一人ひとりの、そして教会の切なる願いです。

恵みによって、今の私に(2017.12.31)

宣教題 「恵みによって、今の私に」     宣教 今田好一牧師
聖 書 1コリント15章3~10節

 復活の主が人々の前に現れたリストの最後に、パウロは自分を挙げて、神の恵みを感謝しています。

1.今のわたしに導いた惠み
 パウロは自分を「月足らずで生れたようなわたし」と表現し、更に神の教会を迫害した張本人として描きます。しかし神は、そんなパウロに主の十字架による全き赦しを与え、復活の主イエスを宣べ伝える者として用いられます。神は、パウロが弱い時に強くし、迫害に遭った時に助け、心挫ける時に新しい力を与えて下さいました。

2.恵みによる多くの働き
 パウロは、自分の働きが誰にも負けなかったと告白をします。それは神の恵みが溢れているから、共にいて下さった神の恵みによって多くの働きができたと語ります。神の恵みを深く感じたパウロは、その恵みを決して受けっ放しにはしませんでした。

3.内側で働く神の恵み
 パウロは、神の恵みを感じ、一生懸命働く者になった自分が偉いのではなく、素晴らしいのは私の内で働かれる神の恵みなのだと語ります。すべてが神の恵みであり、その恵みの与え主だけが褒め称えられるべきなのです。神の愛が欲しくて奉仕するのではなく、神への感謝が自然の表れとしてなされる奉仕のみが貴いのです。
 今年、与えられた恵みに感謝し、来る年のためにも、主は更に優る恵みを私たち一人ひとりに備えておられることを信じて歩みましょう。そして、今のわたしがあるのは主の十字架のゆえであることを心に覚えましょう。