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2017年8月

あなたは大切な人です(2017.8.27)

宣教題 「あなたは大切な人です」   宣教 尹 善鎬 師
聖 書 マタイ3章13~17節

神はイエスに「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(マタイ3章17節)と言われた。これはイエスに対する神からの最高の愛の言葉です。それは神にとってイエスが最も大切な独り子であり、かけがえのない存在だからです。

1.神は私たちに神の子となる資格をお与えになった(ヨハネ1章12節)
「しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた」(ヨハネ1章12節)。イエスを信じる者は、神にとってイエスと同じく、大切な者、かけがえのない者とされます。なぜなら「ローマ8章15~17節」によると、私たちは「キリストと共同の相続人」だからです。私たちは、神にとって、キリストほど大切な人です。

2.神は独り子をお与えになったほどに、私たちを愛された(ヨハネ3章16節)
父なる神は、独り子をお与えになったほどに、世を愛されました。その愛はどんな愛でしょうか。死に渡されるほどの愛です。与えるほどの愛です。貸すのではありません。お与えになったのです。そのイエスは、独り子です。最も大切な方をおあたえになったというならば、私たちにはそれほどの値打ちがあるからです。100円を支払って買った物には100円の値打ちがあります。神の独り子の命という値打ちが支払われて贖われた私たちには、神の独り子ほどの値打ちのある者なのではないでしょうか。
私たちにはこれほどの値打ちがあるのです。しかもその値打ちは、私たちが何か素晴らしい事をしたから、つけられた値打ちではありません。父なる神は、私たちの存在そのものを愛しておられます。あなたは神にとって最も大切な人であることに気づいておられるのでしょうか。

礼拝ご案内・行事予定(2017年9月)

礼拝はキリスト教会の最も大切な行事です。私たちのいのちの糧である聖書の言葉が、わかりやすく語られます。讃美歌を歌い、祈ります。 神さまを讃え、救いにあずかった感謝を表します。

◎ 主日礼拝 (毎週日曜日)
第1礼拝 :AM 9:00 ~ 10:15
第2礼拝 :AM10:45 ~ 12:00
第3礼拝 :PM 7:00 ~ 8:00
○成人科プログラム (毎週日曜日)
AM9:30 ~ 10:15
楽しい聖書の学び 1階集会室にて
お話は毎回完結します。
いつでもお入りください。
3日(日) 第1聖日 創立71周年記念感謝礼拝「目を覚ましていなさい」
ルカ12:35~48
5つのパンと2匹の魚
マタイ 14:13~21
鎌野 健一
10日(日) 第2聖日 長寿祝福礼拝「主との憩いの中で」
ゼカリヤ書8:1~8
祈りと証し
17日(日) 第3聖日 礼拝「試練の効用」
ヤコブ1:1~4
モーセの誕生
出エジプト2:1~10
増永 茂
24日(日) 第4聖日 伝道礼拝「主イエスの癒しと救い」
マルコ1:29~34
ヨシュアとエリコの町
ヨシュア6:1~20
大塚 章信

祈祷会 恵みの分かち合い (毎週水曜日)  AM 10:30 ~12:00、PM 7:00 ~ 8:30

祈祷会は毎日の家庭の祈りに加えてクリスチャンが心を合わせて神に問い、神と語る集会です。キリスト教にとって、祈りは「ご利益の祈願」や「瞑想」ではありません。 神さまのみこころが私たち世界に満ちることを願い、さらに救われたことを、神さまに感謝するものです。

 

9月行事予定

3日 (第1聖日)創立71周年記念感謝礼拝 聖餐式 洗礼式 9月誕生者祝福 救霊の動力の学び(9:15~) チラシ配布
10日 (第2聖日)長寿祝福礼拝 敬老感謝会 チラシ配布 役員会
17日 (第3聖日)礼拝 救霊の動力の学び(9:15~)
24日 (第4聖日)伝道礼拝 アンサンブル・シオン創立50周年記念定期演奏会

10月行事予定

1日(第1聖日)世界聖餐日礼拝 聖餐式 10月誕生者祝福 エノク会例会
8日(第2聖日)神学校デー礼拝 避難訓練 役員会
15日(第3聖日)礼拝
22日(第4聖日)伝道礼拝  Happy Sheep
29日(第5聖日)宗教改革記念日礼拝

 

小さな群れよ、恐れるな(2017.8.20)

宣教題  「小さな群れよ、恐れるな」   宣教 川原﨑晃主管牧師
聖 書  ルカ12章32~34節
 
 「恐れるな」(ルカ12章4節、7節、32節)と繰り返し語られています。恐れるとは、逃げること、また大きくそれるという意味合いがあり、人間の弱さが最も正直に現れる場面です。では私たちは、なぜ恐れなくてよいのでしょうか。

1.神の恵みに生きる  32節
 「小さな群れ」には、福音のために選ばれて召された主の弟子たちが加わっていました。その神の恵みのご支配は、主イエスご自身だけにとどまることなく、主の弟子たちの間にも、続く教会にも継承され拡大していくために、父なる神が喜んで与えてくださったのです。そして、今日まで世界のあちらこちらに展開されているのです。
 私たちは、「小さな群れ」であると謙虚に自覚することから始める必要があります。そう自覚することは、決して恥ずかしいことでも、不安なことでもなく、主イエスの赦しによって立つ勇気を与えてくれます。小さな群れは、私たちの父なる神の恵みによって、大きな力となっていくからです。

2.恵みの神を覚えながら生きる  33~34節
 主イエスは、持ち物や富についての正しく賢い使い方として、「尽きることのない富を天に積みなさい」と勧められています。そうすることによって、富が神の賜物であり、それを備え与えてくださった「あなたの神、主を思い起こし」(申命記8章17~18節)、その主への感謝として「施し」をするからです。
人の心が一番関心を寄せているものが、その人の宝となっているものです。私たちは、主イエスと共に、「あなたがたの父」である神の御業に参加させていただくための元手を授けてくださった恵みの神を思い起こし、また覚えながら生きることが大切なのです。

権威ある新しい教え(2017.8.13)

宣教題  「権威ある新しい教え」       宣教 今田好一牧師
聖 書  マルコ1章21~28節
 
安息日の会堂に来られたイエス様が、そこで語られた権威ある新しい教えについて見ていきましょう。

1.権威ある者として
 当時は、礼拝の順序や役割が決まっておらず、多くは、律法学者が教えていました。そんな中、人々はイエス様の教えに非常に驚きます。何故なら、律法学者の権威は、人間的権威者の教えを引用して作られた権威であり、イエス様の権威は、人格に本来備わっていたものだったからです。つまり、言葉が人となられたのがイエス様です。権威ある者として語られたその証拠は、神の子、救い主であるという事実に基づいていたからなのです。

2.汚れた霊を追い出す
 イエス様は、言葉によってだけではなく、御業によってもご自身の権威を明らかに示されました。汚れた霊は、イエス様がだれであるかを、そして何をしに来られたのかを知っていました。ですから、彼らは「かまわないでくれ。」と叫んだのです。しかし、イエス様は汚れた霊の本来の目的をご存知であられたので、「黙れ。この人から出ていけ」と、言葉によって汚れた霊を叱られ、御業によって追い出されたのです。ここに御言葉と御業によるイエス様の神としての権威が表されているのです。
私たちがこのところから学ぶべきことは、この世の権威を恐れる必要はないということと、汚れた霊の業を見分けて、それを退けるということです。そのためには、イエス様の御言葉と御業の権威に対する、不動の信仰が、教会にとっても、私たち一人一人にとっても必要なのです。

シャローム(2018.8.6)

宣教題  「シャローム」          宣教 川原﨑晃主管牧師
聖 書  エフェソ2章11~22節
 
 イエス・キリストとの出会いには、別離はありません。キリストが私たち一人ひとりにもたらしてくださるのが「平安」で、人と人との間にもたらしてくださるのが「平和」であって「シャローム」と呼ばれています。「実に、キリストはわたしたちの平和」なのです(14節a)。あなたは、このシャロームの世界に生きていますか。

1.以前は遠く離れていたが  11~13節
 ここに、人がキリストに出会う前の姿が描かれています。神の救いから「遠く離れて」、内に腐敗したものを持ち合わせ、キリストを知らず、天に国籍を持たず、救いの約束にも縁遠く、永遠の希望がなく、神を知らない者でした。まさに、キリスト抜きの人生(マタイ14章22~33節参照)、罪の赦しを得ていない歩み(マタイ9章1~8節)、死に勝利していない人生でした(ヨハネ20章19~23節)。
 キリストの最大の遺産である「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える」(ヨハネ14章27節)と招かれるキリストの救いから、どれほど遠く離れていることでしょうか。

2.今やキリストによって  13~22節
 ユダヤ人と異邦人には、「敵意という隔ての壁」(14節)がありました。この敵意は、人の心の中にある罪の性質です。しかし、今や「キリストにおいて、キリストの血によって」(13節)、「こうしてキリストは」(15節)「十字架によって」(16節)、「二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊」されました(14節b)。
 このように、十字架上においてキリストの血が流されることによって神の義が貫かれ、その結果、キリストの平和(平安)がもたらされたのです。キリストは、神と私たち一人ひとりを神に近づけてキリストの平安で満たし、人と人との間をキリストの平和で織りなしてくださるのです(17~22節)。