宣教題 「心配無用」 宣教 川原﨑晃主管牧師
聖 書 ルカ12章22~31節
人間には、愛をもって配慮するといった必要な心配がありますが、心が乱れて「思い悩む」(22、25、26、29節)とある不必要な心配もあります。人間の必要のすべてをご存じの父なる神は、そのことに心を配って、備えていてくださいます。
1.必要のすべてに心を配られる神 22~30節
人は、命のために何を食べようか、体のために何を着ようかと、自分たちの生命や生活について心を配ることは大切です。誰よりも父なる神ご自身が、これらが必要であることを認め、心を配っておられます(30節)。すべての必要の供給者であられる神は、自然界の動植物を造られ保たれ育て養っていてくださるのですから、当然、神ご自身にかたどって造られた人間をお忘れになることなく、同じようにしていてくださいます(22~28節)。
私たちは、この父なる神を信頼して、このお方に集中した人生を歩んでいくことが大切なのです。
2.最も必要とする救いを与えてくださる神 28~30節
だがむしろ父なる神は、すべての人にとって最も必要である「神の国を求め」、そこに入れていただき、神の恵みのご支配の中に生きることが必要であることを訴えておられます(31節)。このことを見失って、さまざまなことに思い悩んでいる者たちの信仰はどこにあるのかと、問いかけておられます(28節)。
ところで、神の国の大敵は、罪の力、悪の力、さまざまな人間の存在をおびやかす力、そして死の力です。一人ひとりを心配される父なる神は、そのような力から救い出すために、救いの道を備えられたのでした。神の国の中心には、イエス・キリストが罪と悪と汚れと死を受け取って十字架で身代わりの死を遂げてくださり、それらに勝利して復活された救いがあります。今や、思い悩むことなく、心配することなく、神の国に入れていただき、神の国に対する信仰の領域を広げていただく時です。