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2017年7月

礼拝ご案内・行事予定(2017年8月)

礼拝はキリスト教会の最も大切な行事です。私たちのいのちの糧である聖書の言葉が、わかりやすく語られます。讃美歌を歌い、祈ります。 神さまを讃え、救いにあずかった感謝を表します。

◎ 主日礼拝 (毎週日曜日)
第1礼拝 :AM 9:00 ~ 10:15
第2礼拝 :AM10:45 ~ 12:00
第3礼拝 :PM 7:00 ~ 8:00
○成人科プログラム (毎週日曜日)
AM9:30 ~ 10:15
楽しい聖書の学び 1階集会室にて
お話は毎回完結します。
いつでもお入りください。
6日(日) 第1聖日 平和聖日・伝道礼拝「シャローム」
エフェソ2:11~22
イサクの井戸掘り
創世記26:12~22
鎌野 健一
13日(日) 第2聖日 聖餐礼拝「権威ある新しい教え」
マルコ1:21~28
祈りと証し
20日(日) 第3聖日 礼拝「小さな群れよ、恐れるな」
ルカ12:32~34
すべてを良きに変える神
創世記50:15~21
大塚 章信
27日(日) 第4聖日 振起日礼拝「心あなたは大切な人です」
マタイ3:13~17
罪の赦しの恵み
マタイ9:1~8
真田 重治

祈祷会 恵みの分かち合い (毎週水曜日)  AM 10:30 ~12:00、PM 7:00 ~ 8:30

祈祷会は毎日の家庭の祈りに加えてクリスチャンが心を合わせて神に問い、神と語る集会です。キリスト教にとって、祈りは「ご利益の祈願」や「瞑想」ではありません。 神さまのみこころが私たち世界に満ちることを願い、さらに救われたことを、神さまに感謝するものです。

 

8月行事予定

6日(第1聖日)平和聖日・伝道礼拝 8月誕生者祝福
13日(第2聖日)礼拝 聖餐式  役員会
20日(第3聖日)礼拝 ギデオンラリー
27日(第4聖日)礼拝 振起日合同礼拝

9月行事予定

3日 (第1聖日)創立71周年記念感謝礼拝 聖餐式 洗礼式 9月誕生者祝福
10日 (第2聖日)長寿祝福礼拝 敬老感謝会 チラシ配布 役員会
17日 (第3聖日)礼拝
24日 (第4聖日)伝道礼拝 アンサンブル・シオン創立50周年記念定期演奏会

わたしについて来なさい(2017.7.30)

宣教題  「わたしについて来なさい」    宣教 今田好一牧師
聖 書  マルコ1章16~20節
 
 イエス様が、湖畔で網を打っていたシモンとアンデレを御覧になられたが、これは、ふと見かけた、というのではなく、じっと見つめておられたという意味です。

1.イエス様の招きによって
  神は、シモンやアンデレと同様に、神のご計画に基づいて私たちにも御言葉を与え、招いてくださいました。この神の招きによって私たちはキリスト者とされ、イエス・キリストを信じる者として主と共に歩んでいます。 そして、イエス様の「わたしについて来なさい。」という召しによって、最初の弟子が誕生したのです。

2.イエス様の召しに対する3つの疑問
 ここに三つの問いが生じます。なぜイエス様はこの四人に声をかけられたのか?なぜ弟子を求められたのか?なぜ彼ら四人は全てを捨てて、即座にイエス様に従うことができたのか? それは、彼らに弟子としての資質があったからではなく、神が愛し、選ばれ、すべての人がイエス様の弟子になるためです。そして、彼らが神の召しをしっかりと受け止めることができたからです。

3.召しによる信仰から献身へ
 神の招きを受け、信仰が与えられ、キリスト者となります。この招きが信仰の原点です。そして召しは献身者を生みます。この献身する者の群れが神の民です。
献身とは、神の召しによって生まれる者であり、他者と比べることはできません。ただ、私たちに求められているのは、神の召しに忠実であるということです。

シモンとアンデレ、そしてヤコブとヨハネは、主の召しに対して即座に従いました。これは、すべての人が主の召しに対して応答する時の模範です。私たちもイエス様の救いの御業に仕え、神の栄光のために仕える者として、神の召しに即座に応える献身者とならせていただきましょう。

心配無用(2017.7.23)

宣教題  「心配無用」         宣教 川原﨑晃主管牧師
聖 書  ルカ12章22~31節

人間には、愛をもって配慮するといった必要な心配がありますが、心が乱れて「思い悩む」(22、25、26、29節)とある不必要な心配もあります。人間の必要のすべてをご存じの父なる神は、そのことに心を配って、備えていてくださいます。

1.必要のすべてに心を配られる神  22~30節
人は、命のために何を食べようか、体のために何を着ようかと、自分たちの生命や生活について心を配ることは大切です。誰よりも父なる神ご自身が、これらが必要であることを認め、心を配っておられます(30節)。すべての必要の供給者であられる神は、自然界の動植物を造られ保たれ育て養っていてくださるのですから、当然、神ご自身にかたどって造られた人間をお忘れになることなく、同じようにしていてくださいます(22~28節)。
私たちは、この父なる神を信頼して、このお方に集中した人生を歩んでいくことが大切なのです。

2.最も必要とする救いを与えてくださる神  28~30節
だがむしろ父なる神は、すべての人にとって最も必要である「神の国を求め」、そこに入れていただき、神の恵みのご支配の中に生きることが必要であることを訴えておられます(31節)。このことを見失って、さまざまなことに思い悩んでいる者たちの信仰はどこにあるのかと、問いかけておられます(28節)。
ところで、神の国の大敵は、罪の力、悪の力、さまざまな人間の存在をおびやかす力、そして死の力です。一人ひとりを心配される父なる神は、そのような力から救い出すために、救いの道を備えられたのでした。神の国の中心には、イエス・キリストが罪と悪と汚れと死を受け取って十字架で身代わりの死を遂げてくださり、それらに勝利して復活された救いがあります。今や、思い悩むことなく、心配することなく、神の国に入れていただき、神の国に対する信仰の領域を広げていただく時です。

福音を信じ、福音を守る(2017.7.15)

宣教題  「福音を信じ、福音を守る」     宣教 小岩裕一師
聖 書  ガラテヤ3章1~5節

1.「だれがあなたがたを惑わしたのか」
「物分かりの悪い」(1節、3節)と、パウロは半ば呆れ驚いています。それは、偽教師たちに惑わされたのです。律法を守ることが救いの条件としているユダヤ律法主義者たちです。なんとペトロさえも、福音に立たずにその偽善に引きずりこまれてしまいました。それをパウロは厳しく叱責しました(2章11~14節)。ガラテヤの信者だけではなく、現代のキリスト信者も、いつのまにか、惑わされる危険があるのです。
律法主義の問題は、①神ではなく、人ばかり見えてしまうことです。(1章6~10節)。②キリストが教えキリストの救いを示す聖霊の証ではなく、異なる霊現象に惑わされることです。(4章8~11節)。③ただ、キリストの十字架を信じることが物足りなく感じ、自分の善行を付け加えることです(3章2節)。使徒たちが伝え、新約聖書に記され、わたしたちに伝えられた古い福音に堅く立つべきです。

2.「一つだけ確かめたい」
「一つだけ」に答えてほしいとのパウロの詰問です。「“霊”を受けたのは」(キリストの救いに与ったこと)は、「律法を行ったからですか」、「福音を聞いて信じたからですか」と、二者択一を迫っています。
ガラテヤの教会も、キリスト教の歴史においても、現代のキリスト教会も、いろいろな信仰的な問題を抱えています。原因追求や解決案の提示も必要でしょう。しかし、パウロは、ただ、この一つだけ、問うています。この一つだけには、妥協、曖昧さはないのです。
「福音を聞いて信じる」とは、「十字架につけられたキリスト」を、ただ信じて、義とされたことです。「このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません」(6章14節)。「福音を信じ、福音を守る」ことに、パウロは命をかけていました。

神の国は近づいた(2017.7.9)

宣教題  「神の国は近づいた」       宣教 今田好一牧師
聖 書  マルコ1章14~15節

サタンの誘惑に勝利されたイエス様は、良い知らせをわたしたちに教えることを始められましたが、その教えの中心点とは何であったかを見ていきましょう。

1. 時は満ちた
第一は、「時は満ち」という知らせです。旧約聖書において預言者たちが、救い主が来て神の支配される国が実現すると預言して来たのですが、イエス様がこの地上に来られたことによって、今やその時は満ち、神の救いの計画が成就されたということなのです。つまり、神の国の支配はイエスというお方の上に実現したのです。

2. 神の国は近づいた
第二は、「神の国は近づいた」という知らせです。神の国と聞いて、皆様はどのような所を想像されますか。きれいな花が咲き、悩みや悲しみもない所だと思われますか。確かにそれも真理かもしれませんが、神の国とは、さらに神の恵みに満ちあふれた、「神の支配される所」という意味です。宣教は、世に対して福音を宣言するものです。そしてその主題は、「神の国」でした。イエス・キリストというお方によって、福音が宣べ伝えられ、神の国、神の恵みの支配が始まったのです。

3. 悔い改めて福音を信じなさい
最後に、「悔い改めて福音を信じなさい」という知らせです。この御言葉を実行すること、つまり、方向転換して、イエス様の十字架の死がわたしの罪のためであったと信じ受け入れる時、神の国に生きる者とされるのです。
イエス様は、今もわたしたち一人ひとりに聖書を通して、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(15節)と言っておられるのです。そして、わたしに従いなさい。と招いておられるのです。

恵みと真実に囲まれて(2017.7.2)

宣教題  「恵みと真実に囲まれて」     宣教 川原﨑晃主管牧師
聖 書  1テサロニケ5章23~28節
神の恵みと真実が、個々人と教会の信仰の歩みの土台となって深く根ざしていくならば、信仰が保たれ、真の結実をもたらしていきます。この手紙の結びに当たる箇所には、その神の真実と主イエス・キリストの恵みが語られています(24節、28節)。

1. 神の真実に立った祈り  23~24節
主イエスの再臨に備えての祈りの中心は、信徒が「平和の神御自身」によって「全く聖なる者」とされることです。それは、主イエスの十字架によって、罪が赦され、きよめ続けられ、神のものとされることによって、神と人との間に平和がもたらされ、人と人との間に平和がもたらされ、神の平安が与えられていることです(23節a)。そして、主イエスの再臨の時まで、全存在が守られ続け、栄光の姿に変えられるのです(23節b)。
真実な神は、このように約束されたことを必ず成し遂げてくださいます(24節)。平和の神御自身は、信仰者にとって、絶対に信頼できる真実な神なのです。

2.主の恵みに信頼を置いた求め  25~28節
神の真実と恵みに信頼を置くパウロは、三つのことを依頼し、また求めています。主の恵みに立ち続けられるようにとの祈りを要請しています(25節)。主の恵みによって、キリストの体なる教会の交わりが保たれるように願っています(26節)。主の再臨待望信仰に生きることから脱線しないように(2テサロニケ2書2節)、主の恵みによって、キリストの体として一つに結ばれているように強く命じています(27節)。
この手紙は、主の恵みで始まり(1章1節)主の恵みで終わっています(5章28節)。
私たちは、主の恵みによって救われ、生かされ、主の再臨の日まで保たれているのですから、主の恵みに信頼を置くのみです(詩編23編6節)。