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2017年4月9日

主は死にて葬られ(2017.4.9)

宣教題  「主は死にて葬られ」           宣教 今田好一牧師
聖 書  ルカ23章50~56節
当時、十字架で処刑された人をきちんと墓に葬ることはありませんでした。

1.神に用いられたアリマタヤのヨセフ
アリマタヤのヨセフは金持ちで、議員で、隠していたがイエスの弟子でした。彼はピラトの所へ行き、イエスの体の引取り方を願い出ます。彼はイエス様の十字架を見て、弟子であることをもう隠すことはできませんでした。そして、自分のための墓をイエス様に献げたのです。イエス様が死なれた後で、彼にできることはこれだけでした。しかし、死んでからではもう遅い、生きている内に多くのものを献げれば良かったのにと思われますが、決して遅くはありません。神はこの墓を用いて、イエス様の栄光の復活の場とされました。

2.陰府にまで降られた主イエス
主が埋葬されるのを、イエス様と一緒にガリラヤから来た婦人たちが見届け、家に帰り、香料と香油を準備しました。それは、安息日が明けたらもう一度丁寧に主を埋葬するためでした。彼女達にできることは、ただそれだけでした。しかしこの時、イエス様はどうされていたのでしょうか。使徒信条においては、「陰府にくだり」と告白しています。この言葉は、イエス様が十字架において、言い難い憂いと苦痛と恐れを肉体のみならず魂において引き受け、忍ばれたことを語り示しています。それによって、私達の罪、古き自分が主の十字架と共に葬られたのです。そして、罪の奴隷状態から解放されるという救いが実現したのです。
このお方を私の神、私の救い主と信じ受け入れ、共に歩ませて戴きましょう。