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2017年4月16日

キリストを中心として(2017.4.16)

宣教題  「キリストを中心として」        宣教 川原﨑晃主管牧師
聖 書  2テモテ2章8~13節
イースターは、「イエスは生きておられる」(ルカ24章23節)と告白し、主の主であられるキリストに賛美と感謝の礼拝をささげる時です。このお方の福音にあずかることは、すべてのものの中心であられる「イエス・キリストのことを思い起こす」(8節)、すなわち一人ひとりの存在にキリストが刻み込まれることなのです。

1.最高の喜びにあずかる  9~10節
パウロは、福音のために苦しみを受け、獄中での生活を余儀なくされましたが、「神の言葉はつながれていません」でした(9節)。いかなる状況下でも福音が語られ、神の言葉は生きて働いたからです。
そのようにパウロを動かしたのは、彼自身が福音に生かされている喜びがあったからであり、キリストに招かれている人々が救われ、共に永遠の栄光にあずかることのできる喜びがあったからです。ですから、あらゆることに耐え忍ぶことができたのです(10節)。ここに、キリストを中心において生きる者の喜びがあるのです。

2.キリストと共に生きる  11~13節
この箇所は、初代教会の讃美歌であり、信仰告白でもありました。今日まで、多くのキリスト者の心に刻み込まれてきました。
キリストの復活信仰に生きることは、自分の願い、考え、思い、計画といった自分自身がキリストと共に十字架につけられ、キリストの願い、考え、思い、計画と共に生きるということです(11節)。そのように生きるならば、不誠実に生きることはできなくなります。ただ、心ならずも不誠実になったとしても、ご自身に対して真実であり続けられるキリストは、真実の限りを尽くしてくださいます(12~13節)。
キリストを中心において生きることは、真実なキリストを信頼して共に生きることです。そこから、恵みと力と希望がわいてくるのです。