宣教題 「神の言葉を聞いて」 宣教 川原﨑晃牧師
聖 書 ルカ11章27~32節
ここには、一つの主題ついて語られています。神の祝福を受けて歩む者の生涯の源となっているのは、「神の言葉」であるということです。私たちは、その神の言を聞いて、どのような信仰をもって応答していくのでしょうか。
1.服従の伴う信仰 27~28節
主イエスが語られた御言葉と成された御業の素晴らしさを讃えるある女が、主イエスを宿し、養った者の幸いを語っています。ところが主イエスは、「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である」と言われました。つまり、神の言葉を心に蓄え、それがいつも生活の中心にあり、基準となっている者が幸いであることを明らかにされたのです。
それは、神の御心に生きることであり(ルカ8章21節)、御言葉に服従する者の幸いを意味しています(同1章38節)。つまり、神の言葉を聞く者が、心からの畏れと尊敬をもってそれに従い、それにふさわしく生きる幸いを教えておられるのです。私たちは、神の言葉を聞いて、それに従うか、従わないかの一点にかかっているのです。
2.心砕かれる謙虚な信仰 29~32節
当時のユダヤ人の多くは、主イエスが本物の救い主であるかどうかという「しるし」を求めました。それに対して主イエスは、ヨナの説教の言葉を聞いて悔い改めて救われたニネベ人々のことと(29~30節、32節)、ソロモンの知恵の言葉を聞きに来た南の女王のことを述べつつ(31節)、彼らよりまさる主イエスが語られる神の言葉を聞くことが最大の「しるし」であることを語られました。このことを通して主イエスは、神の言葉を心砕かれて聞き、犠牲を惜しまないで謙虚に聞くことが大切であることを教えておられるのです。
神の言葉は、心砕かれる謙虚さをもって聞かないと、私たちの心に響いてきません。魂に語りかけられる神の言葉の力強いことを経験する特権にあずかりましょう。