宣教題 「福音の冠」 宣教 川原﨑晃牧師
聖 書 1テサロニケ2章17~20節
パウロは、テサロニケの信徒たちを母親のように、また父親のように愛したと縷々語ってきました(2章1~12節)。本日の箇所では、福音がもたらす交わりの喜びがあり、そこから生み出される結実の喜びがあることを語っています。
1.福音の交わりを喜ぶ 17~18節
パウロは、顔と顔とで会いまみえる交わりに勝るものはないことを知っていました。そこで、テサロニケ教会再訪を切願するだけでなく、実行に移そうと並々ならぬ決意をしています。しかし、その神の働きは、背後で阻止しようとする巧妙なサタンの仕業によって妨げられました。
パウロは、そうした中にあって、「顔を見ないだけで、心が離れていたわけではない」と、テサロニケの信徒たちとしっかり結び合わされていたことを喜びとしています。心が結び合わされているところには、祈りがあります(コロサイ4章2~3節参照)。私たちは、祈りを通して、全世界のまだ会ったことのない人々とも豊かな交わりを持つことができるのです。
2.福音の実を喜ぶ 19~20節
限りある地上での歩みをする私たちが、再臨の主イエスの前に立った時に、何を望みとし、何を誇りとし、何を喜びとするのでしょうか。ここに、喜びに満ちたパウロの姿があります。それは、自分を通して主イエスの救いに導かれ、養われた聖徒こそが、『わたしたちの希望、喜び、そして誇るべき冠・・・実に、あなたがたこそ、わたしたちの誉であり、喜びなのです』と告白しています。つまり、主イエスの福音に与った者の満ち溢れる喜びは、誰かが主イエスの救いに至る道を選択した時に、そのお助けができた時の喜びです。
私たちは、主イエスの再臨の時に、空手で主をお迎えすることがないように、今こそ主の業に励む幸いな者とさせていただきましょう(1コリント15章58節参照)。