宣教題 「恵みの風を受けて」 宣教 川原﨑晃牧師
聖 書 ヨハネ3章1~16節
信仰の人生を帆船にたとえるならば、風は神の恵みであり、信仰はそれを受け止める帆ということになります。
ここに、夜の訪問者ニコデモと主イエスとの対話があります。主イエスはこの対話の中で、信仰の帆を張るために二つの「ねばならない」ことを語られました。
1.人は、新たに生まれなければならない 3節
ニコデモは、道徳的に正しく、指導力があり、旧約聖書に通じ、人生経験に富んでいた人物です(1節、4節、10節)。主イエスは、そのニコデモも「新たに生まれなければ」神の恵みの世界を見ることはできないことを明らかにされたのです。彼は、新たに生まれることを肉体面からしか理解できない限界がありました(4節)。
さて、人はだれでも例外なく、新たに生まれることが必要なのです。これこそが、人が神の恵みの世界に生きるための唯一絶対条件です。肉体の誕生は尊く神秘的です。それ以上に、神の恵みの世界に入れられる霊の命の誕生も尊く神秘的です。私たちは、本来の人間になるために、この二つの誕生が必要なのです。
2.イエス・キリストは上げられねばならない 14節
新たに生まれることができるのは、人の力を超えた聖霊の働きによります(5~8節)。それは、人の目には見えなくても、はっきりと体験できることです。
そのために主イエスは、イスラエルの民が不信仰に陥った際に猛毒の蛇にかまれた者は死に、上げられた青銅で作られた蛇を仰ぎ見た者は生きる者となったように(民数記21章4~9節)、罪の猛毒におかされて死ぬべき罪人に代わって、十字架に上げられた主イエスを仰ぎ見る者は救われることを明らかにされました(14~15節)。
人はだれでも、ただ十字架の主イエスを信じ仰ぐことによって新たに生まれ、神の子とされ、永遠の命を得て生きるのです(16節)。ですから私たちは、主イエスの救いの恵みを受け入れる信仰の一歩を踏み出すのみです。