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2016年9月4日

主に結ばれて日々に新しく(2016.9.4)

宣教題  「主に結ばれて日々に新しく」      宣教 細見剛正師
聖 書  2コリント5章13~17節

私どもの魂の故郷は、神戸中央教会です。天幕伝道で救われ、伝道者として形づくっていただきました。今日、引退後もこのように伝道者としてご奉仕させていただき、この度は特に教会創立70周年の栄えある日に、礼拝説教のご用にお招きを受け、言葉に表せない、感激と喜びに溢れています。ありがとうございます。

テレビ番組「大改造!劇的ビフォー・アフター」を見ていると、古いぼろぼろの傾きかかった家が見ちがえる程に改造されて、「何ということでしょう!」と驚嘆の声をあげます。今日だれもがこれと似た、これ以上に必要とされているのは、私たちの内側の霊魂の大改造ではないでしょうか。私たちはこれを成し遂げる力ある匠であるイエス・キリストを知っています。『だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた』(2コリント5章17節)。イエス・キリストもまた同じく工事は、土台、基礎から始められます。

「ローマの信徒への手紙6章」を開きましょう。『あなたがたは知らないのですか』とパウロは大事な点に私たちを注目させます。知っているつもり、でもなおざりにされている信仰生活のそもそもの出発点です。『キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けた私たちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを』(3節)。私たちは、信仰に入りながらなぜ挫折し、燃え尽きてしまうのでしょうか。自我に死んでキリストに生きていない、神だけが出来る神のわざを自分の力でやり遂げようとするからではないでしょうか。皆さん、頑張らなくていいのですよ(広辞苑で頑張るの語源は我を張る)。主に結ばれた日々に新しい三つの姿がここに生まれてきます。(1)新しい動機:キリストの愛(2コリント5章14節)、(2)キリストの目で見る(同16節)、(3)キリストの使者としての自覚(同18~21節)です。神のあなたへの約束、『見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか』(イザヤ43章19節)。