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2016年6月12日

神の心配(2016.6.12)

宣教題  「神の心配」           宣教 川原﨑晃牧師
聖 書  1ペトロ5章6~7節

信仰者の歩みは、さまざまな試練に悩む中にあっても、主イエスによって「生き生きとした希望」が与えられています(1章3~6節)。そして、いかなる時にも「神の力強い御手の下で」、神が「心にかけて」心配してくださる中を歩み続けるのです。

1.自分を低くしなさい  6節
神は「謙遜な者には恵みをお与えになる」(5章5節)との確かな約束を与えていてくださいます。この約束の根拠の上に「自分を低くしなさい」、すなわち低くされなさいと勧めておられます。そして、低くされる仕方として「なにもかも神にお任せしなさい」と言われています(7節)。
そのように、信仰者が低くされる場は「神の力強い御手の下で」、との信仰の確信に生きることができます。そして、この神の力により、信仰によって守られているゆえに(1章5節)、「かの日には高めていただけ」るとの期待があるのです。この確信と期待をしっかり受けとめることを通して、信仰者の内に「低くされる」との真の謙遜が生まれてくるのです。

2.お任せしなさい  7節
私たちは、こうした確かな約束をいただく中にあって、さまざまな試練の中に身を置くときの思い煩い、また教会の交わりの中での思い煩いがあることを認めざるを得ません。しかし、そこにおいて、神が心配し、配慮して、「心にかけていてくださる」という確かな支えがあるのです。
ですから、さまざまの思い煩いの事柄を自分で背負わないで神に背負っていただき、神の御力の上に丸投げするように委ねることを勧めています。ここに、「低くされる」との真の謙遜があるのです。このように、私たちは、遠慮することなく、また無理に自分の思いを殺すことなく、さまざまな思い煩いを自分だけのものにせず、神の領域に属することとして、神の配慮の内に任せ切ることです。