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2016年5月1日

共に重荷を負い合いつつ(2016.5.1)

宣教題  「共に重荷を負い合いつつ」          宣教 川原﨑晃牧師
聖 書  ルカ10章1~16節

私たちが負う重荷には、個々人別に負うものと、共通して負うものとがあります。キリスト者の全てが負うのは宣教の重荷であり、それを通して学び続け、内に安息を経験していくのです(マタイ11章28~30節)。神の民の共同体である教会は、この共通の重荷を負って遣わされていくのです(1~3節)。

1.委ねられた福音を共有する
キリストの平和に生きる者は、人々がその平和に与かれるように働きかけます(5~6節、ヨハネ14章27節)。それは、キリストによって神の恵みのご支配がすでに来ているのですから、そのチャレンジにお応えして、キリストの十字架と復活の御業を信じるように勧めます(9節)。ですから、心を頑なにし悔い改めないで、神の国の福音を拒み続けることのないように注意を促しています(10~16節)。
このように委ねられている共通の福音に対して、一人ひとりが応答していくならば、その福音のとおりの人生が始まり、福音を生き続けることになるのです。ここに、キリストによる最大の奇跡があるのです。

2.キリストに信頼する
キリスト者は、キリストに信頼しつつ生きることを証しする生活をするのですが、委ねられた福音を共有することにおいても同様です。すなわち、この福音を証しするに際しては、様々な試練によって不安や恐れを抱くことがあり、また生活事情や心遣いをすることによって振り回されやすいために、キリストに信頼して助けていただく必要があるのです(3へ4節、7~8節)。
キリストは、ご自身を信頼する者たちを「小羊」として遣わされます(3節)。小羊のようになられたキリストによる罪の贖いのゆえに、頑なな心を打ち砕いて、真の謙遜と愛に生きる小羊の心に変えて用いてくださるのです(1ペトロ1章18~19節、2章23~25節)。大いに、この宣教の重荷を負い合いつつ、語り伝えたいものです。