宣教題 「栄光の主を見つめながら」 宣教 川原﨑 晃牧師
聖 書 ルカ9章28~36節
この「イエスの姿が変わる」との出来事は、そのご生涯の大きな転換点となりました。一路十字架を目指して進まれたからです(ルカ9章51節)。私たちの信仰の歩みは、自らの足元を見つつ、見つめるべき栄光の主イエスに目を留めていることが大切です(2ペトロ1章16~18節)。栄光の主イエスのどこに目を留めることが必要なのでしょうか。
1.変貌された主イエス
主イエスは、「祈るために」「祈っておられるうちに」とあるように、父なる神と交わっておられます(28~29節)。「ルカによる福音書」は、祈るイエスを重視して伝えています(3章21節、4章2節、4章42節、6章12節、9章18節、9章28~29節、22章41節、23章34節)。このように、主イエスの祈りに合わせて神の救いのご計画が進行したのです。主イエスの変貌は、継続された祈りの折になされた出来事だったのです。
主イエスの顔の様子が変わったのは、神である栄光のお姿に変貌されたことでした。これによって、主イエスが神であることを明らかにされました(35節)。私たちは、いかなる時にも、「栄光に輝くイエス」を仰ぎ見るものとさせていただきましょう。
2.使命を成し遂げる主イエス
主イエスは、ご自身が神であることを明らかにされるとともに、全ての人に救いをもたらされる僕としてご自身を現わされました。この時、ペトロたち三人の弟子たちは、その重荷を分かち合えないでいましたが、父なる神はモーセとエリヤとが「イエスと語り合」うことができるように遣わされたのです。彼らは、神の民が神の救いにあずかるための重荷を持って、執り成し祈り、苦闘した経験があったからです(30~33節)。
そこで語り合われたことは、「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最後について」でした。最後についてとは、主イエスが十字架の血潮によって成し遂げられる救いです。
私たちは、主イエスに聞き続け、贖い主である主イエスを見失わないで拝するのみです(35~36節)。