メニュー 閉じる

2016年1月

礼拝ご案内・行事予定(2016年2月)

礼拝はキリスト教会の最も大切な行事です。私たちのいのちの糧である聖書の言葉が、わかりやすく語られます。讃美歌を歌い、祈ります。 神さまを讃え、救いにあずかった感謝を表します。

◎ 主日礼拝 (毎週日曜日)
第1礼拝 :AM 9:00 ~ 10:15
第2礼拝 :AM10:45 ~ 12:00
第3礼拝 :PM 7:00 ~ 8:00
○成人科プログラム (毎週日曜日)
AM9:30 ~ 10:15
楽しい聖書の学び 1階集会室にて
お話は毎回完結します。
いつでもお入りください。
7(日) 第1聖日 総会礼拝「まっすぐに生きる」
ルカ9:37~45
主がお入り用なのです ルカ19:28~40
鎌野 健一
14(日) 第2聖日 礼拝「心の武装を」
1ペトロ4:1~6
祈りと証し
21日(日) 第3聖日 伝道礼拝 「傷ついた葦を折ることなく」
マタイ12:17~21
オリブ山での祈り ルカ22:39~46
佐藤 正雄
28日(日) 第4聖日 礼拝 「主を賛美するのはだれか」
ヨナ2:1〜11
キリストのまなざし ルカ22;31~44、54~62
真田 重治

祈祷会 恵みの分かち合い (毎週水曜日)  AM 10:30 ~12:00、PM 7:00 ~ 8:30

祈祷会は毎日の家庭の祈りに加えてクリスチャンが心を合わせて神に問い、神と語る集会です。キリスト教にとって、祈りは「ご利益の祈願」や「瞑想」ではありません。 神さまのみこころが私たち世界に満ちることを願い、さらに救われたことを、神さまに感謝するものです。

2月行事予定

7日(第1聖日) 教会総会礼拝 聖餐式 2月誕生者祝福  教会総会(定期総会)
14日(第2聖日)礼拝  役員会
21日(第3聖日)伝道礼拝
28日(第4聖日)礼拝  各会総会

3月行事予定

6日(第1聖日)礼拝 聖餐式 3月誕生者祝福  新任教師研修会1
13日(第2聖日)礼拝  役員会  新任教師研修会2    16,18日 Happy Sheepチラシ配り
20日(第3聖日)パームサンデー礼拝  Happy Sheep  新任教師研修会3
25-27日 JC&YCスプリングキャンプ
27日(第4聖日)イースター感謝礼拝 洗礼式  CSイースター合同礼拝  召天者合同記念会   新任教師研修会4

聖なる主をあがめよ(2016.1.31)

宣教題  「聖なる主をあがめよ」        宣教 川原﨑 晃牧師
聖 書  1ペトロ3章13~22節

私たちは、キリスト信仰のゆえに苦難を経験することがあります。しかし、天の御国の視点
に立ってそれを見るならば、キリストと共に勝利する者とされていることを知ります(13~14節)。ですから、恐れたり心乱したりすることなく、「心の中でキリストを主とあがめ」るように勧めているのです(15節a)。それは、どのような信仰の歩みなのでしょうか。

1.希望の弁明  15節b
ペトロは、キリストを主と告白することが「希望」であると言っています。なぜならば、キリストは十字架の苦しみを通して罪の支配下にある者を神のもとに導かれ、その死から復活されて勝利されたからです。そして、復活されたキリストは、昇天されて神の右に着座され、今も変わらずに尊厳と栄光と権威をもってすべてをご支配しておられるからです。人が洗礼に与るのは、このキリストご自身と御業を正しい良心をもって応答することなのです(18~22節)。
私たちは、この与えられた希望について説明を求める人には、「だれでもいつでも」(新改訳聖書)弁明できるように備えておくことが必要です。このようにして、この希望を語り伝え、また見せ、そして一緒に与ることが大切なのです。

2.弁明の態度  16節
弁明するものに求められる姿勢があります。自己主張せずまた尊大ぶらずに「穏やかに」語ることです。神への畏れと「敬意」をもって語ることです。「正しい良心」をもって、自分の生活態度が弁明することと矛盾することのなく生きることです。これらの三つが結ばれるとき、弁明は効果的に働くのです(16節a)。
福音の光は、敵対する人の目と心とを開きます(16節b)。その良い証しが、ステファノです
(使徒言行録7章54~60節)。彼は人々の激しい怒りや憎悪の中にあって、神の栄光と復活のキリストを見ていました。そして、その復活のキリストを証言し弁明しました。そこには、苛立つことなく落ち着いた姿がありました。
同じように私たちは、キリストをきよめてくださる主として心の中にお迎えしましょう。

この日を正月としなさい(2016.1.24)

宣教題  「この日を正月としなさい」        宣教 川原﨑 晃牧師
聖 書  出エジプト12章1~14節 2コリント5章17節

聖書に「この月をあなたたちの正月とし、年の初めの月としなさい」(2節)とありますが、この時はイスラエルの民の歴史にとって、転機的な時であり、新たな歩みが始まった時でした。
それは、私たちが神の子として自覚的な誕生をし、そこから新たな歩みをすることがいかに大切であるかを語っています。

1.イスラエルの正月とは
イスラエルにとってこの転機的な出来事は、二つの意味がありました。一つは、エジプトに住む家畜をも含むあらゆる初子を撃つという神の審きがなされるに際して、屠った小羊の血を取って家の柱と鴨居に塗っておけば審きが過ぎ越すということでした(6~7節)。もう一つは、酵母を入れないパンと苦菜を添えて屠られた小羊の肉を食べたイスラエルの民は、エジプトにおける奴隷状態から解放され、身軽になってそこから旅人として新たな出発したことでした(11~12節)。このようにして、新生イスラエルの歴史が始まったのです。
この神の御業には、大切なメッセージが語られています。神が血を見られられたことにより、神は過ぎ越されるという救いをなされたことです(13節)。

2.あなたの正月は
すべての人は罪を犯しているので、神の審きを受けなければならなくなりました(ローマ3章23節)。そこから逃れる道は、ただ一つです。私たちの身代わりとして十字架に血を流して死んでくださった神の小羊であるキリストを信じることです(ローマ3章24~25節)。神は、このキリストの血を見られ、神の前に悔い改めてキリストご自身を信じる者を救われるのです。ここから神が備えていてくださる新しい歩みが始めまるのです。
キリストを信じるとは、「キリストと結ばれる人はだれでも」とあるように(2コリント5章17節)、キリストを信頼し、キリストと命の結びつきをもつことです。それによって初めて、新しく造り変えられた人生の正月がおとずれるのです。私たち一人ひとりは、それを「この日」にさせていただきましょう。

栄光の主を見つめながら(2016.1.17)

宣教題  「栄光の主を見つめながら」        宣教 川原﨑 晃牧師
聖 書  ルカ9章28~36節

この「イエスの姿が変わる」との出来事は、そのご生涯の大きな転換点となりました。一路十字架を目指して進まれたからです(ルカ9章51節)。私たちの信仰の歩みは、自らの足元を見つつ、見つめるべき栄光の主イエスに目を留めていることが大切です(2ペトロ1章16~18節)。栄光の主イエスのどこに目を留めることが必要なのでしょうか。

1.変貌された主イエス
主イエスは、「祈るために」「祈っておられるうちに」とあるように、父なる神と交わっておられます(28~29節)。「ルカによる福音書」は、祈るイエスを重視して伝えています(3章21節、4章2節、4章42節、6章12節、9章18節、9章28~29節、22章41節、23章34節)。このように、主イエスの祈りに合わせて神の救いのご計画が進行したのです。主イエスの変貌は、継続された祈りの折になされた出来事だったのです。
主イエスの顔の様子が変わったのは、神である栄光のお姿に変貌されたことでした。これによって、主イエスが神であることを明らかにされました(35節)。私たちは、いかなる時にも、「栄光に輝くイエス」を仰ぎ見るものとさせていただきましょう。

2.使命を成し遂げる主イエス
主イエスは、ご自身が神であることを明らかにされるとともに、全ての人に救いをもたらされる僕としてご自身を現わされました。この時、ペトロたち三人の弟子たちは、その重荷を分かち合えないでいましたが、父なる神はモーセとエリヤとが「イエスと語り合」うことができるように遣わされたのです。彼らは、神の民が神の救いにあずかるための重荷を持って、執り成し祈り、苦闘した経験があったからです(30~33節)。
そこで語り合われたことは、「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最後について」でした。最後についてとは、主イエスが十字架の血潮によって成し遂げられる救いです。
私たちは、主イエスに聞き続け、贖い主である主イエスを見失わないで拝するのみです(35~36節)。

本物の礼拝者(2016.1.10)

本物の礼拝者          宣教 鎌野 直人協力牧師
聖 書  ヨナ1章1~16節 フィリピ3章3節

1.主のことばから逃げる
ヨナはヤロブアム二世の時代(紀元前8世紀)、イスラエルの拡張を預言した。そして、そのことばのとおり、北王国は繁栄した(2列王14章25節)。ニネベを都とするアッシリア帝国が弱体化していたからである。主は、そのヨナに、立ち、ニネベへ行き、そこで呼びかけよ、と命じた(2節)。ヨナは立ち上がったが、ニネベとは逆方向のヤッファに下り、さらに西のタルシシュ行きの船に乗り込んだ(3節)。主とそのことばから逃れようとした。

2.主のわざへの二通りの応答
ところが、ヨナが逃げたところにも主はおられた。風を海に放たれ、大嵐が起こった(4節)。異邦人の船乗りたちは、おそれ、自分の神に叫び、積み荷を海に投げ捨てはじめた。ところが、ヨナは船底へと下り、寝ころび、夢の世界へと降っていった(5節)。船長は、立ち、自分の神に叫べ、と命ずるが、ヨナは聞こうとはしない。主のわざであると気がついているのに、平然としていた。一方で、船乗りたちは「神があるいは」(6節、口語訳)と神のあわれみに期待して、叫んでいる。本物の礼拝者はいったい、どちらだろうか。

3.主をおそれる
神の怒りの原因はだれか。人々はくじを引いて、御旨を求めた。くじは見事にヨナに当たる。「海と陸とを創造された天の神、主」(9節)をおそれる、と語る彼にはわかっていた。自分を海に投げ捨てれば、主は怒りをとどめ、海は凪ぐ(12節)。ヨナは冷静に語るが、人々はヨナが犠牲にならずにすむようにと努力する。それも限界。自分たちを滅ぼさないで、と叫びつつ、彼らはヨナを海に投げ捨てる(15節)。その瞬間、主は海を静める。船乗りたちは、あわれみの主をおそれ、礼拝をする(16節)。
主をおそれ、そのことばを守ったのは異邦人たちであった。主のあわれみに期待したのは彼らであった。選民であることに固執したヨナは偽物であることが暴露された。本物の礼拝者は、主のわざに気づき、主のあわれみにすがり、主をおそれる。あなたは、肉を頼みとするヨナか、それとも、キリスト・イエスを誇りとする船乗りたちか(フィリピ3章3節)。

次世代への継承(2016.1.3)

宣教題  「次世代への継承」          宣教 川原﨑 晃牧師
聖 書  2テモテ1章1~14節

この手紙は伝道者パウロから愛弟子のテモテに書き送られたものですが、キリスト者すべてに語られている内容です。パウロが主イエスからゆだねられた福音を、テモテにゆだねていこうとしている姿勢があります。ここには、どのように福音を継承していくかについて述べられています。

1.恵みによって
キリスト者が福音に生きることに、またテモテのように主と教会と人々に仕えることに弱さや足りなさや無力感を覚えたりすることがあります(3~4節)。主イエスは、そのような者に、聖霊の恵みに与り続けるように勧めています(6節)。
それは、おく病な者を大胆な者に変えてくださる神の恵みの賜物です(7節)。具体的には、主イエスを証しする「力」の霊(使徒言行録1章8節)、人を生かす神の「愛」の霊(ローマ5章5節)、健全な「思慮分別」すなわち慎みと常識の霊という恵みです。それによってテモテは、福音のためには一歩も退かなかったほどに変えられています(ヘブライ13章22節)。
私たちは、聖霊によって燃えたたせていただくという恵みの継承が必要です。

2.信仰によって
聖霊に燃えたたせられ続けるには、私たちが主イエスに自分自身を明け渡して従うことが大切です。それを具体的にさせていただくためには、テモテ同様に私たちが信仰によって見続けている必要なものがあります。まず、福音の出所である主イエスご自身を仰ぎ見ることです(9~12節)。福音は、神によって開かれ、イエス・キリストの救いの恵みによって明らかにされているからです。さらに、信仰の遺産を回顧することであり、「純粋な信仰」を受け継いでいくことです(5節)。そして、信仰に立っている聖徒たちを見て励まし合うことです(16~18節)。
ゆだねられた福音が私たち自身と周囲を変え、それが次世代にまで伝えられて受け継がれ、さらに拡大していくという信仰に立たせていただきましょう。

再び燃えたたせよ(2016.1.1)

宣教題  「再び燃えたたせよ」          宣教 川原﨑 晃牧師
聖 書  2テモテ1章6~7節

神は私たちに、恵みの賜物として聖霊を与えていてくださいます。パウロは、その「(聖)霊の火を消してはいけません」(1テサロニケ5章19節)と語り、積極的には、神の賜物である聖霊を「再び燃えたたせるように」(6節)と勧めています。そのことによって、日々どのような歩みが造られるのでしょうか。

1.キリストを知ること  1章12~14節
キリストの十字架と復活によって現された福音は、キリストから人にゆだねられるものです。人はゆだねられた福音を自分の力でしっかり守り抜くのではなく、順境また逆境と如何なる状況下を通されても「聖霊」によって最後まで守りまっとうさせていただくのです(14節)。
そのことを通して、パウロが「わたしは自分が信頼している方を知っており」(12節)と告白しているように、「キリストを知る」ことが私たちの内に刻み込まれていくのです。私たちの信仰の生涯は、キリストの教えや教会の信仰告白を知っているだけでなく、個人的な経験としてキリストを知り続けることです。

2.キリストを愛すること  1章7節
キリストを知っているということは、キリストを愛しているということです。この手紙の受信人であるテモテには、弱さのゆえに(3~5節)、どこまでもキリストを愛して、キリストとその御旨に従えるのだろうかとの心配があったようです。
そこでパウロは、「力と愛と思慮分別の霊」に燃え立たせられるように勧めたのです。とりわけ、聖霊によってキリストの愛に占領され、駆り立てられることを大切なこととしています(ローマ5章5節)。人はキリストを知れば知るほど、キリストを愛するようになります。キリストを愛すれば愛するほど、キリストを他の人と分かち合いたい、伝えたいと願うようになります。そのようにして、キリストがリアルなお方となっていきます。
日々聖霊の火を消すことなく、燃えたたせていただきましょう。