宣教題 「民をひとつにするもの」 宣教 鎌野直人協力牧師
聖 書 ヨシュア22章21~29節 エフェソ4章4~6節
クリスチャンは孤独ではない。神の恵みによって、神の民という「ひとつの民」に入れられた者である。しかし、そのことを頻繁に忘れてしまう。
1. 分裂の危機
神の約束された地の土地の分配が終わったので、ヨルダン東岸を所有地とする二部族半の人々は帰還した(9節)。途上、彼らはヨルダン川沿いにひとつの大きな祭壇を築いた(10節)。これを聞いたイスラエルの人々は、驚き、軍を送ろうとした。しかし、まず、祭司ピネハスらをこの二部族半の所有地へと送り(11~14節)、シロ以外にささげものをする祭壇を築くことは主への背信行為であると訴えさせた(15~21節)。一方で、二部族半の人々は、川の東西に別れていても将来にわたってイスラエルがひとつの民であることの証拠とするためにこの祭壇を建てたと語り、ピネハスらを納得させた(22~31節)。
2. 忘れる、思い出す
十二の部族からなるイスラエルが「ひとつの民」であることは、すべてのイスラエルの人々にとって重要であった。ピネハスは、二部族半が主への背信行為を行うとすべての民の上に主の怒りが下ると考えていた(18節)。二部族半の人々は、自分の子どもたちが「ひとつの神の民に属してはいない」と言われ、神の民から離れ、信仰を失うことを恐れていた(24~25節)。自分たちが「ひとつの民であること」を、相手側が忘れるのではないか、その結果、自分たちが主の祝福から離されるのではないか、と懸念した。そこで、「ひとつの民である」ことを忘れないように、ピネハスは失敗した歴史を思い出すように語り(17節, 20節)、二部族半の人々は主という同じ神を礼拝していることを祭壇を通して思い出すように求めた(28節)。
クリスチャンも、自分たちが神の恵みによってひとつの民とされていることをすぐに忘れてしまう。だから、現状がどうであろうとも自分たちはひとつの民であることを常に思い出す必要がある。そのために、聖書が物語る歴史、人の失敗と神のあわれみの歴史を思い出し、希望を共有すること(エフェソ4章4節)、そして、すべてのものの父である神を共に礼拝する、ひとつのバプテスマによって生み出された民であることを思い出し続けること(4章5~6節)が大切である。毎年、毎週、毎日、礼拝を通して、「ひとつの民であること」を心に刻みつけ続けることが私たちの霊的な歩みを強くする。