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2015年9月13日

生涯のテーマ(2015.9.12)

宣教題  「生涯のテーマ」               宣教 川原﨑晃牧師
聖 書  1ペトロ2章18~25節

私たちがキリスト者になるということには、二つの召しがあります。キリストのものとされたという納得と歓喜、キリストのようにならせていただけるという希望と渇きです。それは、キリストを模範として、その足跡に続く歩みをさせていただくという(21節)、卒業のない、生涯のテーマです。

1.キリストのすばらしさにとらえられ続ける  22~25節
ペトロは、いつも弱い立場の人たちに寄り添い、彼らがキリスト者として祝福された生き方をするように勧めています。そして、彼らが、キリストの救いのすばらしい恵みを証しし、その恵みが押し広げられることを促がしています。
そのためには、キリストの苦しみを仰ぎ見続ける者となることです。なぜなら、キリストの十字架の身代わりの死のゆえに(22~23節)、私たちは罪に対して死に、神の前に真っすぐに生きる者とされたからです。そのお受けくださった傷によって、いやされたからです(24節)。しかも、神のもとを離れてさ迷っていた者を、キリストは「牧者」また「監督者」となって、ご自分のもとへと引き戻してくださったからです(25節)。
私たちは、この恵みの主キリストに立ち帰り続けていることが大切です。

2.キリストを模範とし続けて生きる  18~21節
弱い立場にある人たちが、人に仕えることにおいて従順であることと、不当な苦しみを受けても耐え忍び、与えられた使命を全うすることが「神の御心に適う」恵みであると伝えています(18~20節)。彼らが「召されたのはこのためだったのです」(21節)。
そのためには、正しくお裁きになる神にお任せになられたキリストを模範として、キリストの苦しみの足跡に従うことが大切です。私たちが日々に経験するあらゆることがらを全てご存知の神に任せることにより、信仰の領域を大いに広げていただくのです。
私たちは、任せる信仰を働かせる機会を逃さないようにしたいものです。人が一番若い日は、年齢の若さによるのではなく、キリストのように生きる日々です。