宣教題 「賢明な計略」 宣教 鎌野直人協力牧師
聖 書 ヨシュア9章16~26節 1コリント3章18節
数ある選択肢の中から何を選ぶかで、その人が賢明であるか、明白になる。イスラエルの連戦連勝のしらせにどのように対応するかで、人々の知恵が試された。
1. 賢明そうな計略
イスラエルが攻略したアイからそう遠くない場所に住んでいたギブオンの民は、生き残りのために計略を立てた。古びた袋、靴、外套、干からびたパンを準備して、遠くからの旅人を装い、イスラエルの所に向かった。和を講じ、自分たちが滅ぼされることがないようにと願って行動した。彼らの虚偽をイスラエルは見破ることができず、契約を結んでしまった。三日後にギブオンの民の嘘に気づいたが、時すでに遅く。契約のゆえに、彼らを滅ぼし尽くすことはできなくなった。奴隷の身分ではあるが、ギブオンの民は命が保たれた。失うものも多くあったが、彼らなりの賢明な計略は、それなりに功を奏した。
2. 愚かな計略
ギブオンの民とは対照的なのが、彼ら以外の住民たちである(1~2節)。戦闘によってイスラエルに対抗しようと考えて、諸国連合を結成した。これは愚かな計略であった。10章以降に描かれているように、彼らはイスラエルの前に無残にも敗北する。いのちさえも失った。
彼ら同様に愚かさであったのは、イスラエルの民自身である。旧来の住民たちを滅ぼし尽くすように主から命じられていたのだが、ギブオンの民の計略を見抜くことができず(疑問には思ったが)、主の指示を求めることもなかった(14節)。善かれ悪しかれ、ギブオンの民との共存が彼らの運命となった。
3. 賢明な計略
最も賢明であったのは、2章に登場したラハブである。主のなされたわざを聞いて、主を神として認めた一方で、ギブオンの民のような策略を立てることはしなかったからだ。彼女は、イスラエルの神とその民を信頼することを選び取り、その結果、命が救われ、イスラエルの一員となる。
自分の知恵が神の偉大なみわざを見えなくしてしまうことがある(1コリント3章18節)。不安は確かに残る。しかし、「神を信頼する」選択を「あえて」行うとき、ラハブが味わったように主の真実を体験することができる。神を「あえて」信頼することこそ、最も賢明な計略である。