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2015年4月5日

恵みの再発見(2015.4.5)

宣教題  「恵みの再発見」            宣教 川原﨑晃牧師
聖 書  1ペトロ1章17~21節
 
十字架に死んで復活された主イエスの救いの御業が、繰り返し語られています(1章1~12節、18~21節)。ペトロは、「知ってのとおり」と語ることにより、信仰者が救いと信仰の歩みに対する自覚を失うことないように、主イエスの恵みの再発見をするようにと勧めています。

1.こんなに大きく救われている  18~21節
 神は、「終わりの時」に主イエスによって救いの御業を具体的に始められました(20節)。その目的は、罪に捕らわれ、死に脅かされ、滅びを前にしてなすすべもなく、虚しい生き方をしていた私たちを、十字架の尊い血によって贖うためでした(18~19節)。そして、主イエスの復活に基づく希望をもたらすためでした(21節)。そのようにして、永遠の滅びから、永遠の救いに与らせてくださったのです。こんなに大きな神の恵みによって、こんなにも大きく救われていることを想起せざるをえません。
 ですから、私たちは、日常の平凡な歩みにおいても、困難な状況や激しい試練に見舞われるときであっても、主イエスの恵みのご支配を覚えて歩むのです。

2.こんなに偉大な「父」を知っている  17節
 このような神の恵みに基づく歩みは、神を畏れて生活するようになります。それには、神をどのようなお方として理解しているか、ということに関わりがあります。
「父」なる神は、主イエスによる救いのゆえに、信じる者を惜しみなく赦し、もはや罪を問われず、さばかないと宣言してくださいました。私たちは、その神を「父」と呼び、神の子とされた人格的な交わりに生かされています。愛と憐れみに満ちた神は、ご自分との交わりから一人たりとも失いたくないために、威厳と権威をもって導かれます。ですから、私たちは、それにふさわしい父なる神への畏敬の念をもった歩みをするという自覚が必要なのです。この恵みを噛みしめつつ、信仰の歩みを形づくらせていただきましょう。