宣教題 「美しい人生」 宣教 川原﨑晃牧師
聖 書 ルカ8章1~3節 ローマ8章32節
人は故郷を失うと、自分の原点また心の居場所まで失うことがあります。さて、神を信じる者は、約束されている「天の故郷」を目指して生きています(ヘブライ11章13~16節)。そのためには、マグダラのマリアのように、主イエスとの出会いが必要です。美しい人生を送るために、人は必ずしも偉大でなくてもよいのです。
1.主イエスと一緒に生きる喜びを経験する ルカ8章1~3節a
自分で自分をコントロールできずにいたマリアは、主イエスのもとに連れられてきて、病を癒していただきました。以来、主イエスの一行と行動を共にしています。後に主イエスが十字架にお架かりになられた時には、「イエスの十字架のそばに」立っていました(ヨハネ19章25節)。このように十字架のそばに身を置くことによって、そこから流れ出る慰めと恵みを受け取ったのです。しかも、復活された主イエスのお声を聞くことにより、主イエスと一緒に生きることを喜びとしたのです(同20章11~18節)。
ところで、神は私たちの側に立っていてくださり(ローマ8章31節)、罪と死の恐れの中にある私たちの身代わりとして「御子をさえ惜しまずに死に渡され」ました(同32節a)。ですから、私たち一人一人は、主イエスを十字架に架けた私の罪を覚えて、ただ十字架の主イエスを仰ぐのみです。
2.主イエスの後を歩み続ける ルカ8章3節b
マリアは、主イエスへの感謝をもって、その後ろからついて行き、一行に奉仕しました。その歩みは、主イエスによって用いられました。
御子をさえ惜しまないで与え尽くしてくださった愛の神は、最後まで一緒に歩んでくださり、神が私たちに必要とされるものを備えて、「すべてのものをわたしたちに」与えてくださいます(ローマ8章32節b)。ですから、私たちは、主イエスを信頼して、天の故郷を目指して歩み続けるのです。そして、今日一日が最後の日であるかのように覚えつつ、主イエスと一緒に歩むのです。