宣教題 「恵みにふさわしい生活」 宣教 川原﨑晃牧師
聖 書 1ペトロ1章13~16節
これまで主の恵みを力説してきたペトロは、それを深く味わい(詩編34編9節参照)、その上にしっかりと立ち、それにふさわしい歩みをするようにと勧めています。主の恵みをひたすら待ち望むことと、聖なる者となることとは、私たちの立ち位置です。
1.ひたすら待ち望みなさい 13節
信仰者は、終わりの時の大いなる救いの完成を(5~9節)、いささかも疑わずにひたすら待ち望んでいます。その望みの根拠は、キリストの十字架と復活に現された過去にあります(21節)。
この望みが、日々の信仰の歩みにおいて生き生きと現されるために、「いつでも心を引き締め、身を慎んで」いることが求められます。このように語るペトロは、自分を制することのできなかった苦い経験を思い起こしたことでしょう(ルカ22章54~62節)。私たちは、望みの根拠であるキリストの救いを疑わせたり、曖昧にさせたり、またその恵みの豊さを見失わせたり、その恵みに正しく応答することを鈍らせたりすることのないように、ひたすらに恵みの主キリストに望みを置き続けることが大切なのです。
2.聖なる者となりなさい 14~16節
信仰者は、救いの恵みに与って「聖なる者」とされたのですから、これまでの自分勝手な思いや生き方でなく、「聖なる者」であり続けることが求められます。聖なる者とは、恵みによって神のものとされたことであり、その在り方や生き方の「生活のすべての面で」神のものとして生きる者なのです。
そのためには、恵みに対し「無知であったころの欲望」に支配されるのではなく、聖なるキリストに倣って「従順な子」として形づくられていくことが大切です。その従順さは、神の御心が最上、最善、最高のものとして受け入れる在り方また生き方となって現れます。私たちは、従順な子として御言葉に聴き従い続けることによって、聖なる者とされたことを軽んじない歩みをしていくのです。