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2015年2月8日

神のわざを記憶し続ける(2015.2.8)

宣教題  「神のわざを記憶し続ける」       宣教 鎌野直人協力牧師
聖 書  ヨシュア4章1~24節、2テモテ2章8節

毎週、なぜ礼拝に来るのだろうか。祈るため、きよくされるため、安心のため、単なる習慣?。イエス・キリストを思うため(2テモテ2章8節)に集められている。では、具体的に何を思い出すのだろうか。

1. ヨルダン川を渡る
イスラエルの民がヨルダン川を渡り、十二の石の記念碑を建てることがヨシュア4章には記されている。ヨルダン川を渡る途中で、主はヨシュアに、十二人の男が十二の石を担ぎ、それを宿営の地に据えることを命令した(4章1~9節)。祭司たちは民が渡る間、ずっとヨルダン川の真ん中に立ち止まっていた(4章10節)。ヨルダン川の東岸に嗣業の地を得た部族も、民の先頭に立って川を渡り(4章11~13節)、この出来事を通してヨシュアは大いなる者とされた(4章14節)。そして、主の命に従って祭司たちが川から上がった時、川は元の状態に戻った(4章15~18節)。ヨシュアは、対岸のギルガルに宿営した民に十二の石の記念碑の意味を語った(4章19~24節)。

2. 十二の石の記念碑の意味
なぜ、このような記念碑を作ったのだろうか。ヨルダン川の流れが主の箱の前でせき止められたことを記念するためである(4章7節)。しかし、単なる自然現象が起こったのではない。これは、イスラエルの神が全イスラエルのためになされたわざである。そのような神のわざを記憶し続けるために、出エジプトの時と同じようにご自身の民を自由にし、民を回復する神に目を向けるために記念碑は作られた(4章23節)。そして、主のわざを記念し、それを記憶し続ける時、世代が変わっても同じように働かれる神を民は知り、恐れ敬いつつそのような神に従うようになる。そして、そのような神の民の姿を見た世界中の人々は、川や海を自由に動かすことのできる神とその力を知るようになる(4章24節)。記憶し続ける民は、宣教のわざに与るようになる。
礼拝は、十二の石の記念碑を見ることに比べられよう。イエス・キリストの十字架を思い、神が私たちを自由にし、回復したことを思い出す。そのような素晴らしい神を恐れ敬い、この方に従って行こうと改めて心に決める。そして、私たちの姿を見て、世界中がこの神の素晴らしさを知るようになる。礼拝という恵みは、私たちを世界へと宣教に遣わす。