宣教題 :「生ける望み」 宣教: 川原﨑 晃 牧師
聖書 : 1ペトロ1章3~5節
私たちの信仰の歩みは、「ほめたたえられますように」とあるように、最初に神への賛美があり、その中に招き入れられています(3節a)。その賛美は、生ける望みから溢れてくるのです。この望みは、死んだ望みではなく、「生き生きとした希望」です。どこからそのような望みが生まれてくるのでしょうか。
1.新たに生まれさせられたゆえに
神の救いの動機は、「神の豊かな憐れみにより」ました。その現われが、独り子イエスの十字架の死とその復活でした。それによって、「わたしたちを新たに生まれさせ」てくださったのです(3節b)。私たちは、新しく生まれ変わらせていただいたことによって、天に蓄えられている神からの相続財産を受け継ぐ者とされ(4節)、「終わりの時に現される」大いなる救いに与る者とされているのです(5節)。
今や私はたちは、復活されて今も生きておられる主イエスと切り離して、生きることも、死を迎えることも考えられません。私たちは、主イエスの復活ゆえに、生ける望みに向かって救われているのです。
2.神の力に守られているゆえに
「終わりの時」とは、もうこれが最後ではないかと思われるほどの危機の時という意味も持っています。かつてペトロは、主イエスの十字架を前にして主イエスを否んだことに見るように、自分で自分を守ろうとして幾度となく失敗をしました。それゆえに彼は、神の力に守られることがどんなに必要であるかを、復活された主イエスにしがみつく信仰によって歩む以外にないことを知ったのです。
私たちは、自分の歩みに自信が持てなくなる、無駄な労苦の日々と思える、自分が孤独に思われる、死の恐れを覚えるなどの試練を経験します。また、神から見捨てられた、身放されたと思ってしまう危機の時を経験することもあります。そのような時にこそ、私たちは「神の力により、信仰によって守られている」との生ける望みに立ち続け、歩み続けるのです。