宣教:川原﨑 晃 牧師
聖書:使徒言行録25章1~27節 フィリピ1章29節
聖書は、キリスト信仰を持っていても、試練や苦しみを経験することを少しも否定していません。むしろ、そうした経験の必要と貴さを明らかにしています (フィリピ1章29節)。パウロは、その宣教活動において、神の御計画の中にあって「キリストのために苦しむ」ことを経験し、そこに自分の生きざまを見い 出していました。
1.神の恵みの深さを知ることを 1~12節、23~27節
パウロはカイサリアの慰留所に2年間監禁されていましたが、その間ユダヤの最高権力者たちの彼に対する憎しみは消えていませんでした。彼らは、なおパウ ロを違法者として訴え続けますが、誰もそれを立証できませんでした。そこで、パウロは、ローマ市民権を用いて「私は皇帝に上訴します」と発言したのでした (11節)。この道こそ、神の最高の摂理の道であり、最も安全かつ合法的な形でローマに行ける道でした。神のくすしい恵みによって、このように神の導きが なされていくのです。
その後、フェストゥス総督やアグリッパ王たちは、パウロと会見しました。前者のこの世の栄光と野心に満ちた姿と、後者の神の恵みに与って黙し毅然として いる姿とは対照的です。神の恵みによって私たちの特権となるものがあります。キリストを救い主として受け入れる信頼と、苦しみの学校によって鍛えられる試 練です。
2.復活のキリストを証しすることを 13~22節
繰り返されるパウロへの審問には、大切な真理、パウロが命を賭けた真理が証しされています。それは、「このイエスが生きている」との力強い証言であり(19節)、これこそ神の恵みの証しです。
十字架に死なれたキリストは、復活されて今も生きておられ、罪と死と滅びの中に死んでいた私たちを生かし続けていてくださいます。それによって、価値観も 人生観も変えられて、いかなる試練や苦しみを経験しても、復活の命と永遠の希望の中を歩み続けることができるのです。私たちは、神の霊に満たされて、今も 「このイエスが生きている」とパウロと共に証しし、歩み続けたいものです。