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2014年1月26日

わたしの平安(2014.1.26)

宣教:川原﨑 晃 牧師
聖書:ヨハネ14章27~31節

キリストは、十字架にお架かりになられる直前に、「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える」と語られました。それは、今の私たちとってどういう意味があるのでしょうか。

1.キリストの遺産、それは平安
人の内側に平安があるとき、外側に平和となって表れてきます。しかし、人の内に恐れや怒りや妬み憎しみといったものがあると、争いや破壊といったものが 生まれてきます。平和であるように、平安があるようにとあいさつを交わし合う間柄においてすら、対立や抗争が続いている有り様です。個人的な関係も国家間 などの関係も根っこにおいては同じなのです。
キリストは、そんな私たちに、この世が与えるものとは違う、いやこの世は与えることができ得ない、キリストのみが与え得ることのできる遺産として「平 安」を残していくと言われたのです。十字架にお架かりくださり、三日目に復活されたキリストが、今も生きておられて、私たちに平安を与えられるのです。

2.平安、それはキリストの平安
キリストは、平安についての説明や希望を述べられたのではありません。十字架の死を目前にした極限状態の中にあって、なお持ち続けることができたキリス トの平安です。それは、ご自分の生き方が父なる神の御心にかなっているとの確信があられたゆえに(31節)、世の力である悪魔の力の支配下にはおられな かったゆえに(30節)、いかなる時にも信頼できる父なる神を知っておられたゆえに(28節c)、十字架の死はキリストにとって「父のもとに行く」ことに ほかならないことを知っておられたゆえに(28節b)、持っておられた平安です。
私たちは、キリストがお持ちであった平安を持っていません。キリストが「わたしの平和」と言われるものをいただく以外にないのです。十字架に死んで復活 されたキリストをまるごと信じ受け入れることによって、キリストの平安をそっくりそのまま「わたしの平安」とすることができるのです。