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2013年11月24日

確かな道しるべ(2013.11.24)

宣教題  : 「確かな道しるべ」   宣教:   川原﨑 晃 牧師
聖    書  : ヨハネ 14章1~6節

私たちは、喜びや楽しみ、また憂いや悲しみや不安を経験します。しかし、主イエスは、如何なる時であっても、私たちの人生の「確かな道しるべ」となってくださる神であり、自らが「道」となってくださいました。

1.見失っている確かな道 
主イエスが、「心を騒がせるな」と弟子たちに語られたのは、死に直面しておられた時のことでした。それを予感していた弟子たちは、「主よ、どこへ行かれるのですか」(13章36節、14章5節)と不安な気持ちを述べています。
このように、心が騒ぎ不安になるのは、主の弟子たちだけではなく、私たちも同様です。その一番の原因は、揺るがない、確かな道を見失っているからです。この確かな道は、最初から私たちが持っているものではなく、人の知恵や努力で知ることができるものでもありません。ただ、神から知らされ、主イエスご自身が「道」となってくださったことによって得ることができるのです(6節)。

2.備えられている確かな道
私たちが最も不安を抱くのは、死に対してではないでしょうか。それは、私たちを八方塞がりにさせます。その行き詰まりを打ち破って、永遠に「住む所」を備えてくださっているのが、主イエスです。主イエスは、その所を「もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか」(2節)と言われているように、主の弟子たちだけではなく、私たちのためにも、すでに備えられているのです。
そして、主イエスは、そこに導かれるための道を備え、ご自身がその道そのものとなられたのです(3節、6節)。それは、主イエスが十字架に踏みつけられて死んでくださり、その死から復活されたことによって開かれた永遠の救いの道です。私たちがしなければならないことは、このイエスを信じ受け入れ(1節)、主イエスとその愛にとどまり続けることです(15章5節、9節)。