宣教題 : 「選ばれた人生を選ぶ」 宣教: 川原﨑 晃 牧師
聖 書 : ルカ 6章12~19節
私たちは、主イエスの12弟子と同じように(13節)、主の弟子として選ばれ、生かされているのです(ヨハネ15章16節)。そのような選びの中に招かれているのですから、私たち自らが、それに応答して選び取っていく歩みをすることが必要です。
1.主イエスの祈りのうちに選ばれたのである 12~16節
主イエスは、ご自身の弟子たちを選ぶに際して、夜を徹して祈られました(12節)。主は、徹夜の祈りをすることを決心して祈られたのではなく、ひたすら祈りに打ち込んでおられたら夜が明けていたのでした。それほどに深い祈りをされたのです。ところで、主が、他に夜を徹して祈られた場面として、ゲツセマネの祈りがあります(ルカ22章39~46節)。この祈りが決定的で大切な祈りであったように、ご自身の弟子を選ばれる時も、祈らずにはおれない決定的で大切な時だったのです。
主イエスは、選ばれた弟子たちを「使徒と名付けられ」、主の十字架と復活の証人としての使命を委ねられました。同様に私たちは、主の十字架と復活の証人として選ばれているという歩みをするのです。たとえそれが試練の場であっても、そこに踏みとどまるならば祝福があるのです。
2.主イエスと一緒に歩むことを選ぶのである 17~19節
主イエスが山に登って行かれたのは、山から下りて来られるためでした。山の下は、主の教えを聞くことや主の救いの御業に与ることを願う大勢の人がいました。主は、弟子たちと一緒に山から下りてこられて、「平らな所にお立ちになった」のです。このように、主の弟子として選ばれるということは、主と一緒にこの世に遣わされるという歩みをすることを選ぶことなのです。
私たちの信仰の歩みは、悩み、苦悩、試練、戦いを避けてとおれません。その信仰の営みから逃げないで、主イエスと一緒に遣わされていくことを選ぶならば、人を生かし、教会を生かすという祝福をもたらすのです。