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2013年10月13日

良心に従って(2013.10.13)

宣教題  : 「良心に従って」   宣教:   川原﨑 晃 牧師
聖    書  : 使徒言行録22章22節~23章5節
神が私たちに与えていてくださる「良心」は、大切な賜物です。しかし、人が良心的に生きると言いつつも、全てが良い心であるとは言えないようです(マルコ7章20~23節)。だからこそ、パウロのように、「わたしは今日に至るまで、あくまでも良心に従って神の前に生きてきました」(23章1節)と言える人は、何と幸いなことでしょうか。

1.新しく造り変えられた良心
聖書では、信仰と良心の関わりの深さと大切さを明らかにしています。そこには、「正しい良心」を持つように勧められていますが(1テモテ1章19節a)、健全な状態にない良心についても語られています。それは、良心が鋭い感覚を失ってしまい、罪を罪と感じなくなってしまったり(同4章2節)、良心を意識的に捨ててしまったりすることです(同1章19節b)。ですから、神の御業や御言葉に対して素直に応答する「正しい良心」をもたせていただくことが大切なのです。
パウロは、教会を迫害することが罪であることを復活の主イエスから知らされた時、聖霊によって良心の導くところに従って回心しました(22章6~11節)。主イエスの語りかけに対して、良心が忠実となり、新しく造り変えられることか大切です。

2.神の前を生きる良心
ここでの迫害に対しては、パウロが持っていたローマの市民権が用いられ、救出されました。彼に与えられた異邦人伝道の使命が果たせなくなってはいけなかったからです(22章22~29節)。彼は、翌日の大祭司アナニアの前で、堂々と落ち着いて、気迫あふれた発言をしています(23章1~5節)。このように、パウロは、神の前に、神に向かって、神から与えられた使命に従って生きていこうとしたのです(24章16節)。
私たちが、その良心を死んだ業から清められて、神を礼拝し、神に仕える者となるために、主イエスが十字架で血を流して永遠の救いを全うしてくださったことを覚え続けたいものです(ヘブライ9章14節)。