宣教題 : 「もう一つの命」 宣教: 川原﨑 晃 牧師
聖書 : ヨハネ10章10~11節
聖書が明らかにしている「命」には、二つの異なった言葉が用いられています。一つは、肉体上の自然的な命で、この地上の一時的な命を意味するものです。もう一つは、肉体を超えた本質的な命、永遠の命を表わすものです。後者こそが、私たちが与かる必要のある「もう一つの命」です。
1.溢れる命を 10節
主イエスが来臨されたのには、目的がありました。羊のように無力で弱い私たちが、もう一つの命を受け、しかも豊かに受けるためでした。
豊かな命は、溢れる命です。溢れる命からは、喜びが満ち溢れ(1ヨハネ1章4節)、主への感謝が満ち溢れ(2コリント4章15節)、主の慰めが満ち溢れ(2コリント1章5節)、主の愛から引き離すものからの勝利に満ち溢れ(ローマ8章37節)、主の業に満ち溢れるのです(1コリント15章58節)。
私たちが受ける溢れる命は、他者を生かしつつ、周囲を祝福します。そして、地上の終わりの向こう側に向けての備えをしつつ、人生の終わりを迎えるのです。
2.命はキリストに 11節
このような約束の御言葉を語られた主イエスが、本当に命なるお方なのでしょうか。
主イエスは、「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」と自らを明らかにしておられます。主イエスは、何の罪も犯しておられないお方なのに、私たち一人一人の罪を背負い、十字架に架かられて死なれました。同じように十字架に架けられた犯罪人の一人は、「我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ」(ルカ23章41節)と言っていますが、その当然の座が、罪の赦しと永遠の命に与かる恵みの座となったのです。
十字架の死から復活された主イエスは、今も変わらずに永遠の命を与え続けていてくださいます。命のキリストに信頼して歩み出し、また歩み続けましょう。