宣教題 : 「主の日を望みつつ」 宣教: 鎌野直人 協力牧師
聖書 : アモス 9章5~15節
聖書におけるビジョンは、「こうなればいいな」という空想ではない。目の前にある現実とは違うが、やがて来ると確信し、実際に確かに到来するなにかを指している。
1.全世界を支配し、導かれる主(9:5-7)
大地を自由に動かすことが主にはできる(5)。大空は主が据えたものであり、海の水も自由に動かし、雨を降らせることもできる(6)。更にはイスラエルのみならず諸国民の移動も主が導いている(7)。アモスは、イスラエルの神である主がすべての造られたものを支配し、ご計画に則って導かれているというビジョンを持っている。
2.民を整える主(9:7-10)
イスラエルは主に選ばれた民である(8)。しかし、彼らの姿は奴隷であった他国民と変わらないし、出エジプトも諸国の大移動と変わらない(7)。「罪に染まった王国」であるならば、イスラエルだろうとなかろうと主は公平にさばき、ふるいにかけて、仕分ける(9-10)。アモスは、選ばれた者を主は整えるというビジョンを持っている。
3.使命を全うする主の日を備えられる主(9:11-15)
イスラエルが選ばれたのは、主から与えられた使命を果たすためである。そして、ついには使命を全うすることができる者となる「主の日」が到来する。主はダビデの子である王を送り、その支配を国内外に確立させる(11-12)。国を豊かな農産物が溢れるところへと再建する(13-15)。イスラエルに対して自らを「あなたの神」(15)と呼ぶ方がそのようにする。イスラエルが豊かになるだけのためではなく、世界へその祝福を溢れ流れさせるためである。アモスは、選ばれた民が主から与えられた使命を全うできるようにされる日が来るというビジョンを持っている。
昇天されたイエスは、天の王座、ダビデの位に着き、その支配を確立された。預言者のビジョンが実現したペンテコステの日が到来した。アモスのビジョンは今、ここに来ている。だからこそ、このビジョンを確信して、歩もうではないか。