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2013年4月28日

触れる愛(2013.4.28)

宣教題  : 「触れる愛」   宣教:   川原﨑 晃 牧師
聖    書  : ヨハネ 9章1~7節
ここに登場する「生まれつき目の見えない人」は、主イエスによって目が見えるようになりました。この男性は、主イエスの手の感触をどのような思いで味わったことでしょうか。触れることがないと愛は始まりません。主イエスが触れてくださる愛は、私たちに新しい人生を開いてくださるのです+。

1.人生の不幸と思えるただ中に
当時人々は、この男性が不幸なのは誰のせいなのかと問題にしたようです。また弟子たちは、この不幸は誰の罪によるのかと主イエスに問いただしています。この時、彼はその不幸、その惨めさを数えて、どのように生きていけばよいのかと自問したことでしょう。
因果応報という教えがありますが、それがどんなに人を苦しめ、人を不安に陥れていることでしょうか。そのような人に、「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない」と言い切ることができるのは、主イエスのみです。私たちは、因果応報という考えが断固断ち切られたところで、生きることができるのです。

2.神の業が現れるため
この男性の目が見えないのは、誰のせいでもなく「神の業がこの人に現れるため」でした。主イエスは、彼に対する深い愛をもって、不思議な方法で目が見えるようにされました。
主イエスは、肉体の目が見えなくても見えても、一人一人の一番つらいところに愛をもって触れてくださるお方です。ですから、私たちはこの男性のように、主イエスが言われるとおりに信頼し切って踏み込んでいくことが大切なのです(7節)。そして、「主よ、信じます」と主イエスの前にひざまずくことです(35~39節)。
十字架に死んで復活され今も生きておられる主イエスは、神の業が私たちに現れる人生を開いていてくださるのです。