メニュー 閉じる

2013年3月31日

人生は空しいものではない(2013.3.31)

宣教題  : 「人生は空しいものではない」   宣教:   川原﨑 晃 牧師
聖    書  : ヨハネ21章1~14節
復活された主イエスは、シモン・ペトロをはじめ七人の弟子たちに御自身を現わされました。それは、彼らがティベリアス湖で漁をしていた時のことでした。彼らはそこで、どのような新しい展開をいただいたのでしょうか。

1.主イエスが御自身を現わされる
ペトロをはじめとする弟子たちが漁に行ったとき、彼らは主イエスとお出会いする以前の自分たちの仕事に仕方なく戻って行ったのでした。それは、主イエスとの関わりを失った後戻りの生き方であったと言えます。この時の彼らの心の状態は、十字架を前にしての主イエスを否んで裏切った心苦しい心境であり、もはや主イエスから忘れられていると思う空しさと失意と虚脱感を抱いたものでした。
主イエスは、このような心の状態でいる弟子たちに「御自身を現わされた」(1節、14節)のです。夜の間、彼らを見守っておられる主イエスのお姿をほうふつとさせます(3~4節)。夜が明けると、主イエスは「子たちよ」と呼びかけられて彼らとの交わりを回復させ、愛に満ちた指示をされました(5~6節)。そして、愛の配慮ある新たな交わりを造られました(9~13節)。
今も復活の主イエスは、空しい状況に明け暮れし、失意の中にあり、目標を失いかけている者に、「子たちよ」と呼びかけ、御自身との新しい交わりの中に招いていてくださいます。

2.復活の主を告白し続ける
弟子たちは、主イエスが生きておられることを告白しています(7節、12節)。これは、「我らの主、イエス・キリストを信ず」(使徒信条)と告白し続ける教会のひな型です。私たちの礼拝と信仰生活の中心には、復活された主イエスが生きておられ、いつも共にいてくださるとの信仰があるのです。
ここから、私たちの空しい生活は終わりを告げ、意味ある生きがいある人生が始まるのです。
そして、主イエスとの命の交わりに生きる喜びが生まれるのです。死んで復活され、永遠に恵みをもって支配される主イエスを目当てとして生きることが、私たちの希望です。