宣教題 : 「主の言葉を聞く」 宣教: 鎌野 直人 協力牧師
聖 書 : アモス書7章7~17節
民の真ん中におられる主は、そこで何をされるのだろうか。
1.主は測られる(7:7-9)
ヤロブアム二世が王である時代(紀元前8世紀)、北王国イスラエルに遣わされた預言者アモスの見た幻の一つに、城壁が正しく組まれているかを確認する「下げ振り」を持っておられる主の姿があった(7-8)。ご自身の民の「真ん中に下げ振りを下ろす」(8)とは、イスラエルで起こっていることを主は見逃さず、彼らの状況を測っていることを示す。そして、主はそれに応じて行動をされる(9)。聖書の証しする神は、私たちから遠く離れていて、何も知らないでいる方ではない。私たちの「真ん中」にいて、そこで起こっていることを見逃されない。
2.主は語られる(7:10-17)
南王国ユダのテコアにいた、預言者という職とはなんら関わりもないアモスを主は呼び、彼を北王国の「真ん中」に送られた(14-15)。そして、アモスを通して語られる。ところが、ヤロブアムが立てた祭司アマツヤは、主が語られているとは思わなかった。むしろ、「アモスがこう言っています」(11)と預言者の戯れ言だと考え、もはやイスラエルの真ん中で語るな、とアモスに預言を禁じた(13)。アマツヤが望んでいた神は、何が起こっても沈黙される神、いつものように平穏無事だ、と語る神である。しかし、「わたしの民」とイスラエルを呼ばれる主は、彼らの「真ん中」で預言者を通して語られる。
時に主は扉を叩き、私たちが扉を開けるのを待たれる。時に主はみことばをもって突然に私たちの真ん中で語られる。私たちを「わたしの民」と覚えて下さる私たちの王であるからだ。あらゆる時に、あらゆる場所で、主のことばからチェレンジを受け、主のことばに励まされ、主のことばと格闘していきたい。主は、みことばを通していつも私たちの「真ん中」におられる。