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2013年2月17日

あなたの神に会う備え(2013.2.17)

宣教題  : 「あなたの神に会う備え」   宣教:   鎌野 直人 協力牧師
聖    書  : アモス書 4章1~13節
「神に帰る」ことを聖書は「悔い改め」と呼んでいる。それは単に謝罪することではなく、行動を変えることだけでもない。神が世界を見られるようにこの世界を見るようになることも「神に帰る」ことには含まれている。

1.信仰は生活のあらゆる側面に関わっている
紀元前八世紀後半に北王国イスラエルへアモスは預言者として遣わされた。辛辣に預言者が民と社会を批判しているから、人々は信仰をなくしているのではないかと考えるだろう。
しかし、実際は、聖所へと人々は行き、数多くのささげものがささげていた(4-5)。そのような行動が罪を犯している、とアモスは批判している。聖所へささげものをしている王宮の関係者のライフスタイルが問題であったからだ。彼らの贅沢な生活は貧しい人の犠牲の上に成り立っていた(4-1)。礼拝に出席する、献金をする、十分に信仰的だと誤解してはならない。信仰はわたしたちのライフスタイルのすべてに行き渡る。

2.神は災いを通して語りかける
主はイスラエルに対して様々な災厄を下してきた(6-11)。それは、ある一面、罪に対する厳しい罰、下されたのろいだろう。しかし、くり返し、「お前たちはわたしに帰らなかったと主は言われる」とある。災いは、「神に帰る」ために与えられた神の語りかけ、警告のことばである。

3.神は宇宙大のスケールの方である
アモスは4:13で、創造者であり、地の支配者、歴史の統治者である主の姿をあげ、賛美と信仰告白をしている。彼の告白する神は、生活の細かい所をチェックするような方ではない。むしろ、スケールの大きな方、私たちひとりびとりを思いつつも、大胆に世界を導かれる方である。信仰理解、神のわざの理解とともに、神ご自身がどういう方であるかの理解においても「神に帰る」ことが求められている。
神が世界を見られるようにすべてを見るという意味で「神に帰る」とき、私たちの神と会うことにむけて私たちは備えられる(12)。「悔い改め」ことこそ、最大の備えである。