宣教題 : 「証人として生きる」 宣教: 川原﨑 晃 牧師
聖 書 : イザヤ書 43章8~15節
イザヤ書に見る神の民イスラエルの姿は、新しいイスラエルと言われる神の教会の姿でもあります。そこには、神の民がどういう人たちの群れで、どういう使命を託されていたかが明らかにされています。その使命は、主の証人として生きることです。
1.どういう資格が必要か
主の証人は、主ご自身が選ばれた、主の僕です(10節a)。従って、主に忠実に仕え、主が崇められることを願う人々です。私たちは、主イエスによって選ばれ、任命された主の証人であることを忘れずにいる必要があります(ヨハネ15章16節)。
そのような資格が与えられるためには、主によって贖われている必要があります(1節、14節)。
私たちは、主イエスが十字架に死んで復活してくださったことによって、すでに罪と死の奴隷状態から贖われているのです(テトス2章14節)。
2.どういう資質を備えておくのか
主の証人は、主御自身を体験的に知り続け、主御自身との親しい交わりを通して信じ続け、自分のものとして身につけるほどに主御自身を理解し続けていくことによって備えられるのです(10節b)。
このように、主の証人としての資質を備え続けていただくことによって、私たちは、謙遜になり、主とその救いの恵みを忘れないでいることができるのです。
3.どういうメッセージを届けるのか
主の証人は、神が唯一であり、この神こそが救い主であるというメッセ-ジを人々に届けるのです。主イエスは、ゲラサで悪霊に取りつかれていた人をいやされましたが、そのことを身内の人に知らせるように言われました(マルコ5章1~20節)。このように、主の証人が語るメッセ-ジは、「主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい」ということなのです。
主の証人は、決してあきらめずに、繰り返しキリストを証し続けるのです。そうすることによって、繰り返しキリストによって救われた自分を見つめ、救ってくださったキリストを「折りが良くても悪くても」紹介できるのです(2テモテ4章2節)。