宣教題 : 「大いなる慰め」 宣教: 川原﨑 晃 牧師
聖 書 : 使徒言行録20章7節~12節
今の日本に必要なのは、偉大な慰めです。死んだ者が生き返ることは、最も幸いなことであり、大きな慰めです。そこには、あり得ないことがあり得たという慰めがあります。私たちは、この大いなる慰めに生かされているのです。
1.共有することによる慰め 7~8節
パウロたちは、フィリピから海路トロアスに来て、同労者たちと落ち合い、七日間を過ごすこととなりました(6節)。彼らは、キリストの復活を記念する「週の初めの日」にそこの教会の聖徒たちに集まってもらい、礼拝をささげました。その礼拝は、聖餐を意味する「パンを裂く」ことと、御言葉が話されるメッセ-ジとから成っていました。
聖餐式は、私たちがキリストの贖いの恵みに感謝する時であり、キリストの体にあずかるという主との交わりまた聖徒の交わりを持つ時であり、キリストの臨在に生かされ、キリストの再臨待望に生きることを確認する時です(1コリント11章23~26節)。また、メッセ-ジが語られる時には、私たちが御言葉に触れることによって、「忍耐と慰めの源である神が」希望と同じ思いとを持ち続けさせてくださるのです(ロ-マ15章4~6節)。このように私たちは、慰めの礼拝共同体に生かされているのです。
2.復活信仰に生きる慰め 9~12節
パウロは、夜明けまで説教し続けました。その間、エウティコという名の青年が、説教中眠りこけて、建物の三階から下に落ちて死んだのです。パウロは、愛と祈りをもって青年の上にかがみ込み、抱きかかえたところ、キリストの復活の命が青年を死からよみがえらせました。「騒ぐな。まだ生きている」とのパウロの力強い信仰の言葉は、その場の暗い沈んだ雰囲気を明るい喜びの雰囲気に変えました。
私たちは、このような非常事態が起こった時にこそ、死者を復活させてくださる神を信じて、冷静に祈り深く行動することが求められます。私たちは、死の現実、絶望的な現実に追いやられた時に、十字架と復活の信仰に生きることによって、慰めを受けるのです(1テサロニケ4章15~18節)。教会の使命は、復活信仰に生きる慰めを分かち合うことにあります。