宣教題 : 「自分が変われば」 宣教: 川原﨑 晃 牧師
聖 書 : ヨハネによる福音書 8章1~12節
今、私たちが最も必要としているものは、心の光ではないでしょうか。しかし、現実は心の暗闇におおわれています。イエスはその暗闇に光を灯そうとされて、「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」(12節)と招かれるのです。
1.暗闇の中を歩んでいた事実
ある朝早く、人々が一人の女性を連行してきた目的は、「イエスを試して、訴える口実を得るため」でした。そこには、人間の暗い闇が潜んでいます。姦通という人間の哀れな本性にまつわる罪があります。そして、自分も同じ可能性を持ちながらも、この女性が犯した行為、その現象だけを厳しく咎めて裁いている人間の底知れない罪があります(3~6節)。そして、救い主をすぐ目の前にしながらも、その御言葉に背を向け、折角の救いのチャンスを放棄し、その場を立ち去っていく人間の哀れな姿があります(7~9節)。そこにも私たちの罪の暗さを見ることができます。これこそが、時代を越えて存在する人間の共通の罪、その暗さです。
自分には罪がないと言える人は、一人もいません。自分で自分を救える人もいません。イエス・キリスト御自身とその救いの御業による以外にないのです。
2.光であるキリストに従う信仰
イエスは、この女性に優しく語りかけ、それに答える彼女に決定的な御言葉を告げられました。『わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない』と(10~11節)。これは、罪の審きが貫かれ、その赦しが貫かれている十字架のイエスを仰ぐことにより可能となる宣告です。
私たちは、「世の光」であるイエスによって、罪を赦されて生かされる「命の光を持つ」のです。そして、私たちの内側から輝かしていただく「命の光」に立つのです。
各人がそのように変えられるためには、イエス・キリストへの信仰が必要です。それは、イエス・キリストの御人格と御性質を信じ受け入れ、その真実な御業にすべてを委ねていくことです。このお方に信頼し従っていくことです。