宣教題 : 「使命への出発」 宣教: 川原﨑 晃 牧師
聖 書 : ルカによる福音書 3章15~22節
主イエスは、12歳の時と(2章42節)30歳の時に(3章21~22節)転機を迎えられました。主イエスが洗礼を受けられたのは、罪の赦しのしるしとしてではなく、救い主としての公生涯に入られる準備の期間を終えられて、使命の道につかれる就任式のような意味がありました。
1.聖霊による出発
洗礼者ヨハネは、誰に対しても罪の悔い改めを迫るメッセ-ジを語りました(19~20節)。民衆は、彼こそが待望するメシアであると考えたほどです(15節)。しかし、彼は、真のメシアである主イエスに仕えて、この方こそ自分よりも力ある優れた方であると紹介しました。主イエスは、神の救いの御業に与からせてくださる聖霊を注いでくださるのです(16~18節)。
さて、主イエスは、洗礼者ヨハネから洗礼を受けられ、神と人との深い絆がつくられるように「祈っておられ」ました(21節)。その祈りが神に聞かれると、「聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た」のでした(22節a)。ここでの聖霊の働きは、イエスの救い主としての使命の出発に際してなされたことでした。聖霊が明らかにしておられる主イエスとその救いこそが、私たちの財産です。
2.御言葉による出発
この時、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」との神の御声が聞こえたのです(22節b)。それは、神が選ばれ、喜びとされ、支持され、御目に適った僕であるとの御言葉の成就でもあったのです(イザヤ42章1節)。そこには、声をあららげることなく、ひたすら祈り、黙々と歩まれる僕としての御姿が証しされています(同42章2~4節)。主イエスは、父なる神から託された使命に歩み出された時から、十字架の死に至るまで一貫して、この僕として歩みを全うされました。
私たちは、神から遣わされ、託された使命に生きる者として召されています。そのためには、どこまでも主イエスとその御言葉に学び、倣い、従うという信仰の歩みが求められているのです。