宣教題 : 「母の心」 宣教: 川原﨑 晃 牧師
聖 書 : サムエル記上 1章3節~20節
旧約聖書最初の預言者と言われているサムエルの母ハンナは、苦しむことの持って行き場がないと思われた時に、神のもとで祈った人でした(ヤコブ5章13節)。ここでは、ハンナの心の軌跡を見ることができますが、それは私たちにも当てはまるものです。
1.痛む心 10節
シロで礼拝がささげられていた時に、ハンナは夫エルカナの愛情を覚えつつも、ベニナによって苦しめられて、悩み嘆き、痛み泣いていました(10節、11節、15節、16節)。
人が嘆く心(詩編13編3節)、悩む心(同25編17節)、騒ぐ心(ヨハネ14章1節)、気力を失い疲れ果てる心(ヘブライ12章3節)、乱れる心(1ペトロ4章7節:口語訳聖書)は、その心を不安にし、揺れ動かし、自分でもあつかいかねてしまうような状態にさせます。そのような心は、主に導いていただく必要があるのです(2テサロニケ3章5節)。
2.祈る心 15節
ハンナの幸いは、主に祈ることを知っていたことでした。それは、痛む心を主の御前にあるがまま申し上げ、さらけ出すように心を注ぎ出す祈りでした。決して、整った言葉や、堂々とした祈りではありませんでした。
私たちは、どのような時にも、ご自分の命を死に渡され、与え尽くしてくださった主イエス・キリストに対して、自分自身の心をそのまま注ぎ出すことです。そこが、私たちの避けどころなのです(詩編62編9節)。
3.安らぐ心 18節
祈り終えたハンナの姿は、以前のように暗く沈んだものではなく、明るく安らいだ表情になっていました。彼女は、主の御前に心を注ぎ出し、その祈りの結果を委ね、ささげています(11節、28節)。
私たちは、感謝を込めて祈りと願いをささげ、結果を主に委ねていくならば、人知を超える神の平安の中に生きる者とされるのです(フィリピ4章6~7節)。
痛む心→祈る心→安らぐ心の軌跡は、私たちの心の軌跡なのです。