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2012年3月4日

あわれむ神(2012.3.4)

宣教題  : 「あわれむ神」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖    書  : ルカによる福音書  1章39節~56節

マリアの賛歌には、共通する神のご性質が語られています。それは、「憐れみ」という言葉に表されており(50節、54節、55節)、神は約束されたことは誠実に果たされるお方です。憐れむ神は、私たちに信仰による変革を経験させてくださいます。

1.神をあがめる信仰  46~50節
神から受胎告知を受けたマリアは、急いでザカリアの家に行きエリサベトに挨拶しました。彼女たちが喜びを共にした時に、マリアに歌が生まれたのでした(39~45節)。
マリアは、測り知ることのできない神の御思い・御計画・御約束・御業に対して、全存在をもって神をあがめ、讃え、自分の身を投げ出しています(46~47節)。そうすることが出来たのは、自分に目を見はるような高貴さや華やかさがないにもかかわらず、神が目を留めてくださり、大いなる救いの御業を進められることを知ったからです(48~49節)。彼女は、神を畏れ敬いつつ、その憐れみを讃えているのです(50節)。
憐れみの神は、罪に汚れ、自らの力で聖なる者になれないことを徹底して自覚する者を目に留めてくださり、神の救いを受け取らせてくださるお方です。私たちは、「生きるにも死ぬにも、私の身によってキリストが公然とあがめられる」信仰に生きる者とさせていただきましょう(フィリピ1章20節)。

2.生き方を変える信仰  51~55節
マリアは、憐れみの神が人間の価値観を変えてくださることを歌っています。それは、主なる神が現わしてくださった謙遜に生きること(51節)、その御支配に生きること(52節)、主なる神の恵みの豊さに生きること(53節)といった生き方です。神は憐れむことを決して忘れるお方ではなく、一人ひとりを通して、家族に、また周囲にそれを及ぼしていかれるのです(54~55節)。
ところで、マリアとエリサベトは、約三カ月に渡って神の憐れみを喜び合っていたのでした(56節)。そうした共にいる姿、喜ぶ姿、歌う姿は、今日の教会の姿でもあるのです。私たちは、「すべての聖なる者たちと共に」(エフェソ3章18節)、神の憐れみの交わりを共にし、そこに留まり続け、拡げていく生き方をさせていただきましょう。