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2012年2月12日

神の企て(2012.2.12)

宣教題  : 「神の企て」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖    書  : ルカによる福音書 1章26節~38節
「神にできないことは何一つない」(37節)と語られている御言葉は、私たちを捉えます。それは、神が語られた企て(ご計画)は必ず実現される「全能の神」であることを明らかにしています。私たちは、この問いかけにどう応答していくのでしょうか。

1.全能の神の前に立つ
神は、天使を通して、マリアにご自身の企てを打ち明けられています(30~33節)。それに対してマリアは、「どうして、そのようなことがありえましょう・・・」(34節)と訴えています。これは、神は全能であられるが、人は限界あるものであると言い表している言葉です。
私たちは、神の全能の前に、自らが無力であること、乏しいこと、悩んでいること、罪深いことを認めなければならないところに追いやられることがあります。その時に初めて、私たちは、全能の神との生きた関わりを持たせていただくことができるのです。
つまり、「いと高き神の子」であられるイエス・キリストによって、死をも滅ぼされた全能の神の前に(32~33節)立たせていただく経験をするのです。

2.全能の神に委ね続ける
神は、マリアの恐れや不安を解消させる御言葉を(28節、30節、35節、37節)、次々と語られました。彼女は、この神の御言葉に促がされ、導かれて、神の恵みの企ての世界の中に足を踏み入れていったのです。そして、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」(38節)との決断をしたのです。この決断をもって、神は救いの企てを実行されていったのです。
私たちは、神の御言葉が成し遂げられるようにとの決断をし、それを全能の神の前に委ね続ける信仰に生きる者です。そのためには、いつも神の御言葉を聴き続けていることが大切です。それが、私たちの決断を支えるのです。
私たちが、全能の神の企てと御言葉に自らの人生を委ねて、信仰の翼を神の全能に向かって大きく広げるなら、神の力を捉えることができます。そして、信仰の高値へと引き上げられていくのです。