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2012年1月22日

祝福としての沈黙(2012.1.22)

宣教題  : 「祝福としての沈黙」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖    書  : ルカによる福音書  1章5節~25節

バプテスマのヨハネの誕生は、喜びの知らせでした(14節、19節)。後に彼が、主イエスに先立って罪の悔い改めを迫り、人々を主の救いに巻き込んでいったからです(15~17節)。神は、ザカリアがこのことを受け入れられるようになるために、口が利けなくさせられました(20節)。この沈黙は祝福となりました。

1.神の御言葉を聴く祝福
ザカリアは、老夫婦に子どもが与えられるという思いがけない知らせを受けましたが、その事実を受け入れることができない不信仰に陥りました(18節)。すると、ザカリアは、ものが言えなくなり、ヨハネが生まれるまで約10カ月の間、何が起こったかを誰にも語ることができなくなったのです(19~22節)。ところが、口が開かれるや神を讃えています(64節、68節)。彼にとっては、その一生にまたとない、沈黙の時だったのです(詩編62編1節)。
主イエスは、いかなる時も静かに父なる神の御心を聴き、それを成し遂げようとされました。とりわけ、十字架のご受難に際しては沈黙されています(1ペトロ2章22~25節)。私たちは、神の御言葉を聴くために沈黙し、神の御言葉を聴きつつ祈ることが大切なのです。

2.神の再創造にあずかる祝福
神は、ザカリアの不信仰を審こうとされたのではありません。この沈黙の間は、神の力が彼ら夫婦に働いています。彼らが事の次第を語ったのではなく、エリサベトが身ごもった事実が事の次第を明らかにしました(23~25節)。このようにして、彼ら夫婦は、神のご計画を受け入れることのできる者に変えられていったのです。
私たちは、信仰を持ちつつ、個々の問題や課題に対して疑いを抱き、信じ抜くことにおいて揺れ動きやすいものです。そうした時、主イエスが私たちの生活と人生の中に入り込んできてくださり、心を神に向けさせ、信仰による再創造の御業を成してくださいます(詩編62編8~9節)。
神は、決して沈黙の時を無駄に用いられるお方ではないのです。