宣教題 : 「喜びに生きる」 宣教: 川原﨑 晃 牧師
聖書 : 使徒言行録 16章25節~34節、フィリピ4章4節
「喜びを物語る」イエス・キリストの福音は、主イエスと私また私と他者との出会い、関係、結びつきを通して波及していきます。その結果私たちは、主イエスにあって常に喜びに生きる者とされるのです。
1.主への礼拝に生きる
ここに至るまで、占いをしていた女性、彼女によって利益を得ていた人々、役人が登場しましたが、彼らに迷信と商売と政治の混乱した状況が伺えます(16~24節)。続いて登場した看守には、仕事上の失敗によって自縄自縛している様子があります(26~27節)。彼らには、救いを失った人間の共通した姿が見てとれます。福音は、そういう状況の中に伝えられる必要があるのです。しかし、そういう世界に福音を伝えることは、伝道の苦しみを経験することでもありました(23~24節)。
ところでそうした最中、パウロとシラスは真夜中の牢獄の中で、神を賛美し、神に祈るという神への礼拝をささげています(25節)。ここに、教会が教会であり続ける姿があります。イエス・キリストの救いに与かっている私たちは、いかなる時にも礼拝をささげる喜びに生きるのです。
2.主の救いに生きる
パウロとシラスは、看守の求めに対して、彼とその家族に対して神の言葉を語り、全家族が主イエスを信じることを勧めました(29~32節)。看守は、パウロとシラスが深い淵にあって神に賛美して祈り、敵対している者を思いやるという神のなされる御業に触れ、またパウロたちの導きに対して信仰の応答をし、家族も一緒に洗礼を受けたのです(33節)。そして彼は、パウロたちを自分の家に招いて食事を共にして信仰と愛の交わりを持ち、神を信じる者になったことを家族ともども喜んだのです(34節)。
イエス・キリストの十字架と復活は、私たちの罪を解決し、神との関係を回復します。そこには絶えず「喜び」と「神の平和」があり、「広い心」があります。そして力を合わせ、福音のために戦う喜びがあります(フィリピ4章2~7節)。私たちには、このような主の救いに生きる喜びがあるのです。