宣教題 : 「降る愛」 宣教: 川原﨑 晃 牧師
聖 書 : ヨハネの手紙 一 4章9節~10節
クリスマスは、大いなる神が小さくなられて、幼子イエスとして、この地上に最も低く降ってくださった時です。私たちは、この出来事を「神は、独り子を世にお遣わしになりました。・・・ここに愛があります」と言い表していることに目を向け、そこに立ち帰り、そこから新たに出発するのです。
1.人を生かす愛 9節
神は、私たちに愛する価値があるから愛してくださったのではありません。神の愛は、神の方から示してくださったものであり、愛するに値するものを発見できなくても愛されるのであり、愛することによって価値あるものと造り変えてくださるのです。
それは、イエス・キリストによって私たちを生かす愛です。命の源である神と断絶して死んだような状態にあった者に、生きることの意味や目的や生きる力を与えられるのです。さらに、もうダメだと思われた人の生き方を変えて、その持ち味を生かして用いられるのです。そして、肉体の死で終わることなく、永遠にまで生かされるのです。
人は誰でも、自分を気遣ってくれて、自分の人生を肯定的に生かしてくれる人を求めます。イエス・キリストこそが、私たちにそれを成し遂げてくださるのです。
2.罪を贖う愛 10節
神に生かされることをとどめるのが、私たちの内にある「罪」です。罪は、神と人の本来の関係を破り、人と人との関係も人と自然との関係も破るもので、人間にとっての最大の問題です。それは、人間世界に悪や不義や不正や対立や争いとなって表れます。
愛の神は、この罪を放置しておくことができないので、ご自身の方から救いの手を差し伸べてくださったのです。それは、神の独り子が十字架にお架かりくださり、「罪を償ういけにえ」となってくださったことによって明らかにされました。このことを信じる者に与えられる罪の赦しは、私たちが勝ち取った赦しではなく、贈られた赦しです。罪を赦された者は、真に生きる者となるのです。
「ここに愛がある」とは、何という素晴らしい宣言でしょうか。ほんものの愛に必ず会える「ここ」と呼び得るところは、イエス・キリストです。