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2011年11月13日

神の教育(2011.11.13)

宣教題  : 「神の教育」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖    書  : 出エジプト 2章11節~15節、ヘブライ11章24~27節
愛の神が、人間が生きる社会に働かれるとき、必ず贖われた人を神の器として用いられます。そのために、神の最大の関心事は、神の器の教育です。そこでは、神が人をどのように取り扱われるかが中心のテーマとなります。今回は、モ-セの生涯の第一の転機とも言える出来事から学びます。

1.神の民であることを選び続ける
モ-セは、ヘブライ人の母親から、創造者であり歴史を導かれる神を信じる信仰を受け継ぎ、エジプトの王女に引き取られてからは、そこでの最高の教育を受けました(使徒言行録7章22節)。彼が40歳になった時に、同胞のヘブライ人をかえりみる心が起こされ(同7章23節)、エジプト人から同胞を助けました(出エジプト2章11~14節)。
この事件を通して、モ-セはエジプトの富と栄誉よりも、神の民と共に苦しみとあざけりを受けることを選び取ったのです(ヘブライ11章24~26節)。彼は、神から与えられる報いに目を向けつつ、信仰によって神を仰ぎ見つつ耐え忍んだのでした(同11章27節)。
このように、神に選ばれた人生を選んでいくことは、見栄えのする華やかな生活、また楽な人生を追及することではなくて、たとえ試練があっても神が備えてくださったところに踏みとどまることです。それを通して、神からの使命が明らかになるのです。

2.神の民をむなしくする
モ-セが神に用いられるためには、さらなる神の高等教育へと導かれる必要がありました。彼は、ミディアンの地に逃れて、再起の機会を伺っていたことでしょう。しかし、彼の荒野での40年は、自己過信や傲慢や衝動的な性格が聖別され、孤独と失意を通して神の助けを求め、神に信頼して委ねる信仰のレッスンを学ぶ時となったのです。このことを通して、モ-セは自分のうちに、もはや何の信頼も持つことができなくなったのです。
この世の教育は人を偉大にしますが、神の教育は人をむなしくします。神は、神の民をむなしくすることにより、造り上げていかれるのです。