宣教題 : 「神の必然としてのリバイバル」 宣教: 川原﨑 晃 牧師
聖 書 : 使徒言行録 16章11節~15節
主の恵みが満ち満ちて、それが溢れ出でて周囲を変革していくのが「リバイバル」と言われています。その「リバイバル」の本質は、主イエス・キリストが崇められ、主イエス・キリストが拡大されていくことです。それは、日常的なことであり、その備えがいつもなされていることが求められます。
1.「主が」心を開かれる 14節
主がヨ-ロッパ伝道に導いておられると確信したパウロ、シラス、テモテ、ルカたちは、当時小ロ-マと言われた「フィリピ」に到着しました。彼らは、そこの祈り場に集まっていた婦人たちに福音を語りました。その中に居合わせたリディアは、「神をあがめる」敬虔な婦人で、主がその彼女の霊の目を開かれたので、語られることを集中して聴き、回心へと導かれました。
真のリバイバルは、このような「敬虔の気風」を生み出し、それが教会の気風となり、教会を決定づけます。そのためには、一人ひとりが不敬虔から敬虔への人生に変えられ(ルカ23章40節)、それが深められることが必要です。何よりも、毎週繰り返される礼拝において、私たちは信仰の基本に立ち返り、敬虔であることを慕い求め、敬虔の鍛錬をされていくことが大切なのです(1テモテ4章7節)。
2.「主に」忠実である 15節
リディアとその家族は、共に洗礼を受けました。そして彼女は、自宅にパウロ一行が泊まるように愛をもって招待しています。こうして、この家族が中心となって、「喜び」を最大の特徴とするフィリピ教会が誕生しました。それ以来、彼女の家を拠点としてフィリピ伝道がなされ(16章40節)、「献身的な気風」に満ちた教会となりました(フィリピ4章15~16節)。
こうした気風は、「主を信じる者」すなわち「主に忠実な者」たちが、一つになって集まる所に生まれます。「世界聖餐日礼拝」は、こうしたことを重んじて生まれました。私たち一人ひとりは、主イエスを信じる信仰をもって、主に忠実に、また主に真実に生きるならば、途絶えることのないリバイバルが生まれるのです。